2012年7月21日土曜日

歌が聞こえる

 ファン先生はこの春転勤してきた男性教員である。
 40代後半か、50代前半と思われる。背が高く、筋肉質で色が黒い。少し背を曲げゆっくりと歩く。
 私は最近になってファン先生が国語の教員であることを知った。ずっと工業か、体育の教員だと思っていたのだ。

 ファン先生は転勤してきて新二年の一番大変なクラスの担任になった。
 このクラスの何が大変なのか・・・。それは授業を成立させるのが大変なのである。まず欠席者が多い。とにかくまず人がいないのだ。いつも電気がついていなくて暗い。ゴミが散乱している。教科書、筆記用具を持ってこない。私が以前授業しに行った時は、20人ほどいなかった。教室に10人もそろっていないのだ。教室を出て生徒を探す。だが、校外に出てしまっていたり、トイレから出てこない者もいる。そして教室にはタバコの臭いが漂っている。

 私はこのクラスでは、50分の授業でなんとか20分は集中させることを目標にしている。だがそれも至難の業だ。あとは生徒と雑談したり、日本のドラマなんかを見せたりしている。
 ただこのクラスは元気が良くひょうきんなものが何人かいて、よく大声で挨拶してくる。私はこのクラスに行くのが少しずつ好きになってきた。そして生徒ともだんだん仲良くなってきた。
 この間、夏休み前の最後の授業に行った。今学期最後なので、はりきって行ったのだが、8人も欠席していた。もう勝手に夏休みにはいっているのだ。


 このクラスの担任がファン先生なのである。
 ファン先生は、厳しくそして温かく生徒に接している。
 朝は通学路に立つ。そして生徒に声をかける。服装が悪い者を注意し、裏道でタバコを吸っている者をつかまえる。いつも職員室の前に何人もの生徒を正座させ、反省文を書かせている。廊下でもよく生徒の肩をつかみ何事かを話しかけている。大きな手のひらで生徒の背中をおもいきりバシッと叩く。竹や木でできた棒で生徒を叩く先生が何人かいるが、ファン先生はいつも素手だ。ドスの効いた静かな声で生徒を叱る。

 今、この学校で一番生徒から恐れられていると思う。私が廊下を歩いていると手をあげて元気に挨拶をする生徒も、ファン先生には萎縮して頭を下げる。

 ファン先生はいつも早々に昼食を終え、自転車をゆっくりとこぎながら、学校内や校外を回る。そしてタバコを吸っている者やゲームセンターに行っている者をつかまえて、職員室の前に正座させる。


 時間があれば生徒の親と連絡をとっている。難しい親が多いようだが、粘り強く語りかけている。そして学校に親を呼び、話をする。この学校には相談室のようなところがないため、いつも親が来ると職員室の端にあるソファーがあるところで話し合いをする。ほとんどの親が、荒れる息子、学校に行かず街を徘徊している息子にどう接していいか分からず悩んでいるようだ。時には全ては学校が悪いと決めつけて大声で学校批判をし続ける親もいる。だがファン先生は親の言葉をよく聞いている。そして言うべきことはびしっと言う。

 教頭先生ともいつも何事か相談している。何について話しているのか分からないが、ファン先生の言葉を聞いている教頭先生は、いつも何かを考えている表情を浮かべて黙っている。

 私が放課後授業からもどると、誰もいない暗い職員室で、時々一人で机についているファン先生を見かける。パソコンを見つめながら仕事をしているときもあれば、何かをじっと考えているときもある。


 ファン先生と共に転勤してきた別のある教員が、私にこう声をかけてきたことがある。

「あなたはいつまでここにいるの?」
「来年の春までです。」
「この学校ひどいね。」
「え?」
「生徒は授業なんて受けないし。」
「はぁ。」
「自分も一年で転勤するよ。」
「え?」
「あなたも来年の春までなんだろ。」
「はい。」
「じゃあ、一緒にさよならだ。」

 その先生はその後、自分が今までいた学校がいかに素晴らしかったかということをずっと私に聞かせた。そしていかに自分が生徒達から信頼されていたかということを語り続けた。
 その先生が言うには、以前いた学校は生徒達がしっかりと授業を受け、目標や夢に向かって活き活きと生活していたらしい。そしてその先生は生徒からものすごく慕われていて、素晴らしい関係が作られていたということであった。私は黙って聞き続けた。そしてその先生は最後に私にこう言った。
「あなたはアンラッキーな人だ。せっかく韓国まで来たのに。」

 アンラッキー?・・・私はなんだか無性に腹が立った。何か胸のずっと奥にある炎のようなものが吹きあがるのを感じた。こんな感覚を覚えるのは久しぶりである。だが何も言わなかった。そして曖昧に微笑んでその先生から離れた。

 そういえば転勤していったある別の先生も同じようなことを私に言った。
「今度私が行く学校はいい生徒ばかり。本当にうれしい。ここは設備は一流だけど、生徒は三流だからね。あぁ、あなたはここだけで終わりだったね。」
 私はその時も曖昧な微笑を浮かべてその人から離れていった。


  「あきらめる人」がいる。「逃げる人」がいる。
 だが、「あきらめない人」がいて、「逃げない人」がいる。

 ふと職員室の窓の外に目を向ける。

 今日もファン先生が一人自転車に乗り、昼の見回りに向かう。ファン先生は少し背中を曲げて上目遣いに自転車をこぐ。小さく口笛を吹いている。

 雲間から日差しがそそいでいる。熱を含んだ風が行きすぎる。

 「あきらめない人」の歌が遠ざかっていく・・・。


 
 この夏、しばらく日本に一時帰国します。
 残り半年間乗り切るために、リフレッシュしてこようと思っています。
 みなさんもよい夏を・・・。



2012年7月12日木曜日

一人で変わる。一人が変える。


 この春に20人以上の先生が転勤になった。その中には同じ日本語科でずっと自分のことを着任当時から世話をしてくれていたキム先生も含まれている。
 日本語の単位数減、教員数減という自分には寝耳に水の事態を知らされ、私は少なからず動揺した。日本語は必要ないと思われているところで自分が働いているという事実を知り、その時は気持ちが重くなった。そのためキム先生との関係も半年間で終わってしまった。ほんの短い期間だったが、私はキム先生から多くのことを学んだ。

 キム先生は50代の女性で、学校のボス的存在であった。明るく世話好きで、キム先生の周りにはいつも自然と多くの人が集まった。管理職や工業科の強面の先生達もキム先生には一目置いていた。


 キム先生は遠慮なくものを言う。
 言われた男性教員はみんなたじたじとなる。それでもキム先生の物言いは全く嫌みがなくカラリとしているので最終的にはみんな笑顔になる。
 明らかにその筋の人という人相をした先生達もキム先生には頭があがらない。一番ヤクザ顔をしている先生はキム先生におしりを蹴り上げられて悲鳴をあげていた。

 私もかなりいろいろと言われた。「それでも日本人?」「こんなこともわからないの?」「それだけしか食べられないの?」「それだけしか飲めないの?」「情けないね。」「勉強して下さい。」「日本人なのに何故日本のことそんなに知らないの?」「あなたバカね。」「本当に弱いね。」「男でしょ。」等々、もう言いたい放題なのである。ここまでけちょんけちょんに言われたのは、人生で初めてである。私は言われるたびに苦笑いを返すことしかできなかった。だが何故か嫌な気持ちにはならなかった。

 キム先生はとても世話好きである。
 このお菓子がおいしい、あの果物が良かったと言っては家から持ってきて周りにどんどんと配る。そして食べてみろと急かす。だから私は今までいろいろとめずらしいものを食べてきた。
 誰かがどこかへ行ってお土産なんかを職員室の中央にある机に置くと、キム先生はすぐにそこに行き、大量にゲットし我々のところへ持ってきてくれる。そしてみんなでワイワイと語りあいながら食べる。大声で笑う。

 キム先生はいろいろな人にツッコミを入れる。
 「ありがとうございます。」とみんなが言うと、「あんた達、本当に心からそう思っているの?」と切り返す。
 「気持ちいい朝ですね。」と誰かが言うと、「どこが気持ちいいのよ、全然気持ちよくない。私は眠りたいの。」と切り返す。

 家にも招待してくれて、私はキム先生のご家族とは何度か食事もしている。
 キム先生の旦那さんはどんな人だろうと私は実はとても興味を持っていた。キム先生はどんな男性を選んだのだろう?
 そして初めて旦那さんに出会った。その人は・・・・神様のようなゆったりした人であった。仏様のように温かい人であった。お酒が好きでふわりとした感じの人であった。だけど目には何か強い意志が感じられた。「なるほどね。」と私はその時妙に納得したのであった。


 私の家族が韓国に来たときも食事に誘っていただいた。キム先生だけでなく、いつもいろいろな先生方にご馳走になってばかりなので、今度は自分がみんなのために食事の場を設けたいと言うと、キム先生は
「豪華な食事なんだろうね?」と言ってくる。
「はい、大丈夫ですよ。何にします?」
「いくら出すの?」
「え?」
「だから、いくら出すの?」
「出せる範囲なら。」
「じゃあ100万ね。」
 100万か・・・、韓国で100万ウォンといえば何人もの人がかなり贅沢な食事ができるはずだ。
「分かりました。100万ウォンですね。じゃあ場所は先生が決めて下さい。」
 キム先生は頬杖をつき目を細くしてこちらを見つめる。
「何言ってるの?」
私はどぎまぎして答える。
「いやぁ、ちょっとどんな店があるのか自分はまだ分からないので・・・。それにみなさんがどんなものを食べたいのかもわからないし・・・。」
キム先生が私をギロリと睨む。そしてドスを効かせた声で言う。
「店なんかどうでもいいの。」
「え?」
「店なんか私がいっぱい知ってる。」
「あ、はい。そうですよね。」
それよりエンよ。」
「は?」
「ウォンじゃなくてエン。」
「エン?」
「そう、円よ。100万円よ。」
「へ?」
そして私がどう答えたらいいか困っていると、突然大笑いをするのである。
「何かお返しをしようなんて考える必要は全くないのよ。ここではね。」と言ってまた大笑いする。


 私が体調を崩すとものすごく心配し、薬局に行ったり、いろいろな食べ物を買ってきてくれる。私が「すみません、ありがとうございます。」と言うと「ホント、弱いねー。弱い、弱い。」と言われる。

 懇親会や食事会では必ずみんなの中心になって場を盛り上げる。他の女性の先生方が一次会で帰っても二次会三次会と最後まで参加する。そして疲れ果ててうな垂れている我々男性教員達に「ほら、しっかりして、帰るよ。」と声をかけ、みんなをきちんと帰宅させる。

 毎週行われる教員のバレーボールの試合では、キム先生が中心となり女性チームを結成し参加する。女性の先生達もみんなものすごくうれしそうに活き活きとプレーする。だがキム先生はものすごく負けず嫌いなので目には炎がある。負けるとものすごく悔しがり、もう一度勝負しろと叫ぶ。

 生徒への対応もすごい。
 授業では眠っている生徒の頭を叩いたり、耳や頬を捻り上げたり、机や椅子をおもいきり蹴ったり、ショルダータックルやヘッドロックをしたりする。男子高校生にここまでやれる女性教員に会ったのは初めてである。
 生徒がちょっとでも反抗的な態度をとったら大変なことになる。その生徒に詰め寄り、ものすごい剣幕で叱り上げる。生徒はそのあまりの迫力に圧倒され、たじたじとなる。そのためどんな横着な生徒もキム先生だけには頭が上がらなかった。
 私が授業に一人で行くと生徒達は必ず聞いてくる。
「先生、今日キム先生は?」
「いるよ。」
「どこに?」
「職員室に。」
「授業に来るの?」
「忙しいみたいだから、今日は私が一人でやるよ。」
すると生徒達はウォーと叫び声をあげガッツポーズをする。みんなやたらと元気になる。
 まぁそれだけ私が生徒からなめられているってことなんだけれども・・・。


 そんなキム先生が転勤した。
 これで学校は少しずつ変わっていくんだろうなぁと私は思っていた。だがそれは違った。「少しずつ」なんてものじゃなかった。ガラリと変わったのである。やはりキム先生のこの学校での存在は圧倒的なものだったのだ。

 まず職員室が静かになった。
 コーヒーを飲みながら談笑したり、お菓子や果物を食べながら冗談を言い合ったりすることなどなくなった。みんな静かにパソコンを見つめている。教員同士の会話が極端に減り、キーボードを使う音が聞こえてくる。みんなパソコンを見つめている。ヘッドフォンをはめる人が多くなった。かく言う私も、たびたびはめるようになった・・・。

 工業科の先生は実習棟にずっといて、ほとんど職員室に来なくなった。

 毎週水曜日に行われている親睦バレーボール。私は欠かさず参加しているのだが、女性の先生達は参加しなくなった。
 水曜日には、体育館には飲み物や食べ物が大量に準備されている。初めの30分ほど、女性の先生方は来て、準備されているものを食べながら我々の試合の応援をする。だがキム先生がいた時のようにチームを作って参加することはなくなった。そしてすぐにみんな帰ってしまう。後は男性教員だけでずっと試合を行う。

 頻繁に行われていた懇親会も少なくなり、あっても女性の先生が誰も参加しない。いつも男性教員だけで懇親会を開いている。

 私個人についても大きな変化があった。
 全ての授業を単独で行うことになった。もう一人の日本語科の韓国人教師のI先生からは「授業は全て一人で。」と言われたのだ。今までも一人で行うことが多かったが、私は会話練習の部分を中心に行っていて、詳しい文法的な説明については韓国人教師が韓国語で行ってくれていた。それがキム先生の方針であった。
 でもそのサポートも今はない。私の韓国語力では限界があるので、そのことをI先生に相談したのだが、「授業は一人で。」とくり返されるばかりだ。そして教師用の指導書を渡された。もちろん説明は全てハングルで書かれている。それを電子辞書を使いながら内容を把握した上で、なんとか授業をすすめている。
 でもなかなかうまくいっていない。クラスコントロールに必死といったところだ。

 この壁は自分にとって久しぶりに巨大な壁である。授業のことがプレッシャーになっているのだろう、夢の中でも授業をしている。金曜日の最後の授業が終わると本当にホッとする。だが日曜日の朝にはもう月曜の授業のことが重く自分にのし掛かってくる。まぁ教師って職業はそんなものかもしれないけれど・・・。

 私は今、一人で授業をし、一人で職員室の机にいて、一人で帰っていく。他の先生方と一言も話さず、一日が終わるときもある。どれだけキム先生が自分をサポートしてくれていたかということを今になって痛切に感じる。そして今は生徒との会話だけが唯一の「人間との会話」である。


 授業中スマートフォンで音楽を聴いていた生徒からそれを取り上げ何日か預かっていた。この生徒とはその時いろいろともめたが、結局没収し、自分の机の引き出しに保管していた。それを電子機械科の実習室にいる生徒に返しに行ったときのことだ。
 一人の工業科の先生に呼びとめられた。この先生はとても明るい先生で私にも日本語で挨拶をしてくることがある。時々職員室にも来て、場を明るく盛り上げて帰っていく。
「お茶でも飲んでいきなさい。」と実習室の横の教員室に誘われた。ここにはキム先生と二人で何度か訪れたことがある。そしていつもコーヒーをご馳走になっていた。

 その日はとても暑い日で、冷えた梅ジュースをいただいた。
「授業はどう?」
「難しいです。ここでの授業は・・・。今は一人だし・・・。」
「さっきの携帯は?」
「授業中使っていたので・・・。」
「そうか。」
電子機械科の先生は何度も頷きながら嬉しそうに笑う。

「キム先生がいなくなって大変だろ?」
この先生だけではなく、多くの先生から何度となく言われた台詞である。
「大丈夫です。」
私はいつもそう答えることにしている。
 その後、今の職員室の様子とか、親睦バレーボールのことについて会話を交わした。
 私はグラスに口をつける。冷えた梅ジュースが喉を潤してくれる。とても心地いい。
 その先生は梅ジュースが入ったグラスを揺らす。氷が小さな音をたてる。先生はグラスの中をじっと見つめている。
「こんなに変わるんだねぇ~。たった一人がいなくなるだけで・・・。」
 その先生は確かにそう言った。私の韓国語力はまだまだ全然ダメなレベルなのだが、時々ストンと単語の連なりが胸の奥に落ちてくることがある。その時もそうであった。


私は梅ジュースを飲み干し、立ち上がる。
「ご馳走様でした。」
「また、来なさい。」
「はい、ありがとうございます。」

 教員室を出たときの私は、なんだか元気が湧いてきていた。そういえば人ときちんと話したのは久しぶりな気がする。

 さて授業頑張るか・・・。生徒とどんなバトルが待っているか楽しみだ。

 どこか遠くから金属を削る音が聞こえてくる。教員の怒鳴り声も聞こえてくる。笛の音や、生徒の笑い声も聞こえてくる。

 実習室の長い廊下に差し込む初夏の日差しに、私は思わず目を細めた。




2012年6月18日月曜日

オオカミの夜

 酔ったKさんの後についていく。
 テニスコートほどの広さがあるプレハブ小屋に入る。室内は暗い。裸電球が一つ灯っている。その仄かな灯りの下に座卓がある。鍋が煮え立っている。鍋の横にはたくさんのキノコや野菜、そしてスライスされた牛肉が山盛り。
 私はそこに座るように言われる。Kさん、そしてKさんの奥さん、もう一人70代くらいの男が座る。

 カン先生の友人であるKさんに会ったのは一時間ほど前。カン先生は私を一人残し山小屋に帰ってしまった。
 私はとても気まずかった。私は教師という職業に就いていながら、とても人見知りが激しいのだ。一人の人と親しく話せるようになるまでには長い時間を要する。だから初対面の時の私の印象は悪い。生徒にも私と初めて会った時の印象を聞くと「怖い」「嫌な感じ」「関わりたくなかった」などと言われる。卒業生で今では一緒に飲むメンバーからもそう言われて笑われた。
 すぐ人と打ち解けて仲良くなれる人が本当に羨ましい。私はとても時間がかかる。だからこの3人と楽しく食事ができるとは思えなかった。


 グラスに焼酎とビールで爆弾酒が作られる。出会ったばかりの人々と乾杯。
 Kさんの奥さんはテニスプレーヤーでモデルもやっていたらしい。とても背が高く、体格がいい。テニスでは代表として日本にも何度か試合に行ったことがあるそうである。奥さんが肉と野菜とキノコの煮込みをよそってくれる。
 スープを一口すする。美味い。どんなダシを使っているのかわからないが、こくがあり口の中に旨味がさっと広がる。こんなスープ初めてだ。

 Kさんが私のことをもう一人の男に紹介する。私は頭を下げて挨拶した。その男の目はとても鋭かった。70代くらいに思われるのでKさんの父親か、あるいは兄か、よくわからない。Kさんは酔っ払っていて説明があやふやなのだ。
 その男は私が日本人と分かった瞬間、目がよりいっそう鋭くなった。そして「日本人・・・。」とつぶやいた。
 私は本当に居心地が悪かった。Kさんや奥さんに「たくさん食べて。」と言われても、自分から鍋に手をつけることはしなかった。


 私はその男が自分のことを歓迎していないことを肌で感じた。男は爆弾酒を飲み続けている。そして突然話し出す。
「何故、日本人がここにいる?」
 Kさんが説明する。私が工業高校で日本語を教えていること、カン先生と親しいことを伝えてくれている。男がこちらをじっと見つめる。
「もっとたくさん食べろ。何故食べない?もっと飲め。」
私は頷きスープに口をつける。男は鋭い視線を送りながら語り出す。
「オオサカは知っているか?」
「はい、わかります。」
「ヤクザは?」
「わかりますけど。」
「俺はオオサカでヤクザとビジネスをしていた。」
「・・・・。」

 私はどう答えていいか分からなかった。その男はかなり酔っている。冗談を言っているのか。それとも私を脅そうとしているのか。私は曖昧な笑みを浮かべ、爆弾酒を飲み干した。すぐに新しいものがグラスに満たされる。
Kさんが笑いながら言う。
「オオサカでヤクザと仕事してたのは本当。・・・その話はもうやめたら。」
Kさんがその男に言う。
 男はグラスを握りしめながら私に鋭い視線を送る。
「日本はひどい国だ。悪い国だ。」
私はうつむく。


 今まで韓国に来て2度ほどこういうことがあった。
 いつも行く食堂で朝飯を食べているとき、店にあるテレビのニュースで日本と中国と韓国の領土についての問題が取り上げられていた。私は下を向いたまま食事をとり続けていた。突然一人の男が大声で言った。
「いつもそうだ。中国と日本はひどい国だ。中国人と日本人は信用できない。」
 それまで談笑していた店中の男達が静まりかえった。私はうつむいて食事を続けた。
 そこにいる全員が私が日本人であることは知っている。
 この店はゴミ清掃員のアジョッシ達が朝集まる店なのだが、私はそこに交じって毎朝朝食をとっている。私の食生活を心配したキム先生がここの食堂のおばさんに頼んでくれたのだ。それから10ヶ月の間、私はここに毎朝通っている。

 私は日本がひどい国と言われたことよりも、おじさん達のせっかくの楽しい食事の時間が、自分がいるために気まずい雰囲気になってしまっていることに心を痛めた。
 ふと顔をあげるとみんなが私の方を見ないようにしている。みんなが私に気を使っているのが分かる。食堂のおばさんは「日本人は信用できない。」と言った男を睨み付けている。いつも笑顔でとても優しいおばさんなのに・・・私はそこにいるのが居たたまれなくなった。だが黙って食べ続けた。食べ終わり
「ごちそうさまでした。」
とおばさんに言い、お金を払う。おばさんは泣きそうな表情をしていた。
「ありがとうね。行ってらっしゃい。」
それでも最後はいつも通り笑顔で送ってくれた。


 そんなことが今まで2度ほどあった。「ほど」と記したのは、実は細かいことではいろいろある。
 この派遣が決まった時から私はある程度覚悟していた。そして自分で決めていた。どんなことを言われても、たとえ屈辱的なことを言われてもきちんとその言葉に耳を傾けようと。

 ただその男は酔っている。どんどんとエスカレートしていく。
「日本はひどい国だ。悪い国だ。」
「日本人は本当にひどい。」
「日本人は韓国の歴史を学んでいるのか。」
「歴史を学べ。そうしたら分かる。どれだけひどい国か。」
 私は初対面のこの男に韓国語でまくしたてられる。だが、私の語学力ではここに記したことぐらいしか分からない。

 男の目は真っ赤になっている。酔ったオオカミのように私を睨み付けてくる。Kさんが言葉をはさむ。
「もうやめようよ。昔の話。古い話。」
そして男を指さして笑いながら言う。
「古い男、古い男。」
 だが私はKさんの目を見たとき、Kさんがこの男にものすごく気を使っているのが分かった。そしてその目に怯えの光も見えたのだ。Kさんの奥さんもうつむき野菜やキノコを鍋に入れている。この男はいったい何者なのだろう。Kさんも奥さんもこの男を止めることはできないのだ。
 二人はまいったなぁという表情をして突然席を立った。私は驚いた。この状況で私と男だけにする気かよ・・・。Kさん達は本当に出て行ってしまう。私は鍋をはさみ男と二人きりになった。


 日本人がいかにひどいことをしてきたかということを男は語ってくる。私は男の目をみつめながらじっとその言葉を聞いた。Kさんと奥さんは帰ってこない。カン先生に電話をかけようかとも思った。だがそれすらもできない。
 男は私のグラスを指さし「飲め。」という。私は一気に飲み干す。また、酒がそそがれる。男も飲み干す。私は男のグラスにも酒をそそぐ。

 男は急に黙りこくり私をじっと見つめてくる。
 この男がどんな人生を歩んできたかは分からない。だが、深い皺と鋭い目、日に焼けた顔。なんだか修羅場をくぐりぬけてきた人のようにも思える。
 私は朝鮮半島の山の中で、この男とこうやって鍋をはさんで酒を酌み交わしている不思議さに包まれていた。相手の名前さえ分からないのだ。男は静かに言う。
「もっと食べろ。」
「はい。」
「どうした。美味くないのか?」
「いえ、とてもおいしいです。」
 私は牛肉とキノコと野菜の煮込みスープをもりもりと食べる。美味い。果てしなく美味い。


 男は私が食べるのを微笑みながら見つめている。そして嬉しそうに笑う。
 男は酒を一気に飲み干すと「俺は寝る。」と言い立ち上がる。そしてふらつきながら出て行った。

 私は一人になった。一人っきりになった。一人だ。
 今夜、これからどうなるんだろう・・・。
 私はここがどこかさえもわからないのだ。

 虫の音だけがかすかに聞こえてくる。窓の外には漆黒の闇が広がっていた。



2012年6月9日土曜日

むむむのむ

 日曜朝8時、カン先生より「ウォンジィ」まで来いとの電話があった。
 チリ山の入り口の街ウォンジィに到着するといつもの黒い車ではなく、白い車に乗せられる。運転席に一人の男がいた。一目見て驚いた。カン先生と全く同じ顔をしている。ただ眼鏡をかけている。カン先生の弟さんだ。造船所の技術者ということだ。カン先生と同じく、目に鋭い光と、温かみが同居している。

 谷沿いの道を車は走る。
 山のふもとで車から降り、ザックを背負い山道に歩みを進める。かつて山岳信仰の聖地とされたチリ山の森の中を歩む。
 先頭がカン先生、次に私、そしてカン先生の弟さん。どうやらこの並びは最初から決められていたようで、私のペースに二人が合わせてくれているのがわかる。今日のカン先生はいつもと違いゆったりと歩みを進める。


 広葉樹の森を抜けると竹林が続く。そしてまた広葉樹の森の中へ。初めにアップダウンのきつい場所があったが、後はなだらかな登り下りが続く。
 木漏れ日の中を三人は黙ったまま進む。山の気を全身に浴びながら修験者のように歩き続ける。時々他の登山客とすれちがう。その時はお互い挨拶を交わす。

 森の空気は密度が違う。植物たちが時間をかけてその密度を作っている。その中を歩み続けるとだんだんと何も考えなくなっていく。考えることをしなくなっていくと自分の体の輪郭がはっきりしてくるように思う。
 深い森の中に渓流がある。その平らな岩場で昼食。
 渓流の水をコッヘルに汲みバーナーで沸かす。昼食は白米、キムチ、サンチェなどの何種類かの野菜、そしてインスタントラーメン。渓流の水で冷やしたマッコリで乾杯。
 木々の葉が陽光を浴びながら揺れている。聞こえるのは葉の擦れ合う音と水の流れる音、それだけ。


 山歩きを終え、カン先生の弟さんと別れる。カン先生の車に乗り換え川沿いの道を走る。ペンションが何件か並んでいるところに車は止まる。
 宿泊客がみんなで食事をとるための巨大なプレハブがある。その厨房へとカン先生は入っていく。背の高い二人の男女が酒を飲んでいる。挨拶を交わす。カン先生の幼なじみとのことだ。女性は席をはずし、三人で酒を飲む。カン先生の幼なじみのKさんは、もうかなり酔っている。
 グラスに焼酎を注ぎ、次にビールを注ぐ。いわゆる爆弾酒だ。それをあおり、我々二人にも勧めてくる。干し魚をつまみにしながらぐいぐいとあおる。
 Kさんは声が大きく、笑ってばかりでとても陽気である。私が日本人ということにはお構いなしで、ゼスチャーを交えながら大声で話してくる。
 私は酒は好きなのだが強くはないので、爆弾酒を何杯か飲むうちにふらふらになる。

 「明日は仏陀の誕生日だ。寺に行こう。」
赤い目をしたKさんが立ち上がる。カン先生と私も立ち上がり、この建物の裏手の山の中腹にある寺に向かう。
 酔っているのですぐに息がきれる。

 寺にはお笑いタレントの山田花子に似た尼さんがいた。とにかく果てしなく優しい顔をしている。声も温かい。肌は真っ白でつるつると光っている。そしてものすごく小さい。年齢はわからない。50代か、60代か。
 私が日本人だと言うことがわかると、日本語の学習帳のようなものを持ってきていろいろと聞いてくる。「値段が高い」と「背が高い」の「高い」は何故同じ言葉を使うのか、などと聞いてくる。

 チジミを焼いてくれて、スイカを切ってくれて、お茶を出してくれた。
 この尼さんと話していると、心が落ち着く。とても気持ちいい。韓国語も驚くほどわかりやすい。私のレベルを考えてくれているのだと思う。こんなに韓国語が分かったのは初めてのことだ。というよりも「言葉」で話している気がしない。私はなんだか懐かしい思いが湧いてきていた。
 時々Kさんが口を挟んでくる。邪魔だ。世界が壊れる。Kさんは俗っ気満々の人物なのだ。私はこの山田花子似の尼さんと二人きりで話していたいのだ。尼さんが微笑みながら言う。


「ここにスイカがありますね。」スイカを一切れつまむ。
「はい。」私もつまむ。
「どうぞ、食べて下さい。おいしいですよ。」
「はい。」私はスイカを口に含む。冷えていて甘い果汁が口いっぱいに広がる。
尼さんは食べずにまた皿に戻す。
「もともとはまーるい一つのスイカでした。」
「はい。そうですね。」
「私もあなたもこの一切れのスイカのようなものです。」
私は尼さんの目を見つめる。尼さんは優しく微笑んでいる。

Kさんが突然割り込んでくる。
「明日は仏陀の誕生日。まぁ俺も仏陀、あんたも仏陀、そういうことですよね。」
声がでかい。酒臭い。だがそう言った後Kさんは突然謝りだした。
「すみません。すみません。すみません。」
尼さんに向かって頭を下げる。声がでかいんだよ。何なんだ、この人は。尼さんは微笑んでいる。
「そうですね。ふふふふふ。みんな仏陀、それでいいんじゃないですか。」
Kさんは、ほれ見ろというように自慢げに私を見る。何なんだ、この人は。尼さんは楽しそうに微笑む。


「ところで心はどこにありますか?」尼さんは私を見つめてくる。
「え?」
「ここですか?」と言いながら、尼さんは指で頭をさす。
「それともここですか?」今度は胸に手をあてる。小さくて真っ白な手だ。
私は首を振る。
「わかりません。どこにあるんですか?」
「さぁ?」
「え?」
「さぁ、どこにあるんでしょうねぇ。」そう言って、尼さんは静かに微笑む。
そして近くにあった紙の切れ端に、ペンで「無」と記した。
「え?」私は分からなくなった。
無、無、無、無、無?尼さんは微笑んだままだ。私は尼さんを見つめ次の言葉を待った。
「たくさん食べなさい。」そう言うと、チジミののった皿を私に差し出す。
 それが最後の言葉だった。尼さんはさっきから何も口をつけない。お茶にも手を触れていなかった。

ふと気がつくと、カン先生がいない。そういえばKさんとお堂に入った時には、カン先生はいなかった。携帯を確認するとカン先生からの着信がある。カン先生に電話をかける。

「カン先生、今どこですか?」
「おまえは、どこにいる?」カン先生はかなり酔っているようだ。
「まだ、寺にいます。先生はどこにいるんですか。」
「俺か、俺はもう帰ったよ。」
「え?どこにですか?」
「山の家へ。」
「え?じゃあ自分はどうすれば?」
カン先生が何かをしゃべり続ける。聞き取れない。携帯をKさんに渡す。Kさんは笑いながら大声でカン先生と話す。
「あいつは飲み過ぎてもう動けないってさ。まあいいや、一緒に飯を食おう。」

 Kさんは笑う。私は唖然とした。
 どういうことだ。何もわからない外国人を友人のところにおいたまま普通帰るかよ。ありえないよ。俺はどうなるんだ。今日このKさんと過ごすのか?さっき会ったばかりのこの人と、どうやって過ごせばいいんだ。Kさんを見つめる。
「飯のことなら心配ない。妻が用意している。あれは俺の二人目の女房だ。セカンドワイフ、セカンドワイフ。あいつはテニスプレーヤーだった。モデルもやってた。本当だぞ。ハハハハ。飯のことなら心配ない。セカンドワイフ。ッフフフフ。テニスとモデル。ッフフフフ。」
このべろんべろんに酔っ払ったKさんと、どうしろというのだ。私はカン先生を恨めしく思った。


 山田花子似の小柄な尼さんが見送ってくれた。酔っ払ってふらついているKさんと困惑顔の私を見つめ、微笑んでいる。

 石の階段を降りる。前を歩くKさんは、ゆらゆらと揺れながら降りていく。
 ふと、私の脳裏に尼さんの書いた「無」という文字が浮かび上がる。
 振り返ると尼さんは微笑んだままこちらを見つめている。

 私と目が合うと、頷いて静かに頭を下げた。
 小さな尼さんを巨大な木々が包み込んでいた。