2013年2月13日水曜日

韓国を食べる・その4

 今年のソルラル(旧正月)での休日は2月9日~11日までであった。土日と重なったため三日間の休みとなった。韓国には振替休日がないのだ。そのため祭日が土日と重なると自然消滅してしまうことになる。この期間韓国人は故郷へと大移動を行う。

 私はソウルへと向かった。
 日本での同僚と元同僚の先生方計6人が休みを利用して遊びに来てくれたのだ。ほとんどが自分より先輩だし、副担をやってくれていた先生もいて、私は久しぶりに落ち着くことができた。
 食べ、飲み、そして語り合った。みんなものすごく多忙にも関わらず、足を運んでくれたことを心から感謝している。私がいくら生意気なことを言っても、どっしりと受けとめてくれるあの度量が自分も欲しいと思った。いつになることやら。先生方の笑顔を見て力が湧いてきた。

 
 休日にカン先生に山に誘われる。
 木を伐り、それを運び乾燥させる。
 私は生まれて初めてチェーンソーを体験した。力がいるし、コツがいる。カン先生の作業を見ていると簡単そうに見えるのだが・・・。木はそう簡単にバラバラにはなってくれない。必死に抵抗してくる。
 
 今度は丸太を斧で割る。
 この作業も難しい。そう簡単には割れてくれない。それでもやっているうちに少しずつコツをつかんでくる。体が全身で学ぼうとしている。
 よしできるようになったぞと思ったときに鈍い音がした。斧の刃の近くの柄が折れて、刃先が吹っ飛んでいった。カン先生に謝ったが、カン先生は「かまわん、かまわん。」と笑っている。
 
 今度は松の剪定。
 カン先生は猿のようにするするするっとあっという間にかなりの高さまで登ってしまう。そしてノコギリで太い枝をどんどん切り落としてくる。それらを下で集めるのが自分の役割だ。
 それにしても何故あんなふうに登れるのだろう。やっぱりあの人は猿だ。でなければ仙人だ。
 
 
 山で生きるのは甘くない。弱い者は山を下りるしかない。
 真冬というのに私は汗だくになって太い枝を運んでいた。自分の生き物としての弱さをつくづくと感じた。カン先生は、松のずっと上の方で涼しい顔をして作業を続けている。レベルが違いすぎる。生き物としてのレベルが・・・。
 
 そんな私を励ますように、新顔の子犬が私の足下にすり寄ってくる。息をきらして作業をする私を彼女は不思議そうに眺めている。
 このメスの子犬とはすぐ仲良くなった。だが彼女にはきっと分かるのだろうな。自分とカン先生の生き物としての差を・・・。犬は強い者を見分けるスペシャリストだから。

 

 久しぶりにまた韓国の美味いものを紹介しようと思う。写真では伝わらないかもしれないけど・・・。


 まず麺類から。
 これはフェネンミョン。
 エビだのタコだのヒラメだのタイだのいろいろな刺身が入っている。よくかき混ぜて食べる。外国科の先生方がご馳走してくれた。地元にある専門店で食す。美味い。麺のお代わり自由。



 ミルミョン。
 釜山の老舗で食す。これに熱々の牛骨スープが付いてくる。冷たいミルミョンを食べた後、何故だか熱々の牛骨スープがやたらと合う。不思議だ。




 これはスジェビという。
 幅広の麺がちぎってある。スープはやたらと辛かったが、食後は体が中から温まってきた。カン先生にご馳走になる。カン先生によると、子供の頃よくおやつ代わりに食べていたとのこと。これを子供のおやつにするとは・・・流石韓国。



 ヒラメやタイなどの刺身。
 口の中でとろける。こうやって冷やした石の上に盛りつけて出されることもある。外国科の先生方にご馳走になった。



 これは蒸しパンなんだけど、よくこうやって職員室の机の上に誰かが置いておいてくれる。生徒の保護者などが持ってきてくれたりする。まだ温かくて美味しい。



 おでん。
 韓国のおでんは日本とはちょっと違う。スープの味も違う。よく屋台の周りで立ったまま食べる。冬は体が温まっていい。



 チョッパル。
 いわゆる豚足である。私は市場でいつもこれを買う。サンチェなどの野菜に巻いて食べても美味い。ビールや焼酎がとても合う。



 サムギョプサル。
 豚の三枚肉のスライス。余分な脂をとばしてカリッと焼いて食す。これもビールや焼酎によく合う。この時は生徒指導の先生にご馳走になった。



 ちょっとお酒のことを・・・。
 マッコリは必ず韓国で飲むべし。生マッコリは日本で飲むマッコリと味が全く違う。これは誰もがそう言う。何が違うかっていうと、韓国で飲むマッコリの方が断然美味いのだ。もうそれだけしか言えない。日本に帰ったらもうマッコリは絶対に飲まない。マッコリが飲みたくなり、再び韓国に来る日本人が多いのも頷ける。何故あんなにも味が違うのだろう?



 アワビ粥。
 釜山の済州屋で。アワビなんだから、美味いのはあたりまえか・・・。



 チュオタン。
 ドジョウをすりつぶしてスープにしたもの。癖のある味。やみつきになる人がいるのもわかる。私もその後、いろいろな土地のチュオタンを食べることになる。
 この時は物理の先生がご馳走してくれた。




 上の二枚の写真はホンオフェ。
 珍味中の珍味と言われる。エイを壺の中で発酵させたもの。食べたときに強烈なアンモニア臭が口中に広がる。「駅の汚い便所」と表現する人もいるほどだ。子供は絶対に食べられないだろう。
 焼酎をまず一口ぐっと飲み、これを口の中に放り込む。強烈なパンチを口中にくらう。だがその後になんとも言葉では表現できない味が広がるのだ。

 この日は機械科の先生方にご馳走になった。なんとホンオフェ専門店を一日に二件はしごしたのだ。ありえない。

 一軒目はまず上の写真の店に行った。ところが機械科の先生方は「これはダメだ。」「なんだこれは。」「店長を呼べ。」「許さんぞ。」とものすごく文句を言った。ボディービルダーのような体格をした店長は何やらやたら言い訳をしていた。

 怒って店を出た機械科の先生達に私もついていく。しばらく歩いて腹をならした後、なんと再びタクシーに乗り別の店に行ったのだ。
 だが、私にも分かった。二件目の方が断然美味い。アンモニアのパンチがとても上品なのだ。気品がある。品格がある「駅の汚い便所」といったところか。
 いつか食べてみて下さい。

 
 それではまた。しっかり食べて元気にやっていきましょう。お互いに。

 

2013年2月2日土曜日

街外れの王国

 新学期が始まり、生徒達と再会。欠席者が多い。まだ冬休みを続けている者もいるようだ。
 髪の毛を染めている者が増えていた。特に5組の彼は明るいオレンジ色に染めてきた。身長は190センチ近くある。目立ちすぎだ。「みかん人間」が歩いているようなものだ。
 パーマをかけてきた生徒も多い。なかなかみんなおしゃれだ。この冬休みに新しくできた彼女の写真を見せてくる者もいる。

 どのメンバーも相変わらず授業を全く受ける気はないようだが、笑顔で挨拶してくるし、いろいろとこっちにちょっかいを出してくる。なんだかホッとする。真面目なメンバーも、もう教科書や筆記用具は持ってこない。体一つで学校にやってくる。もう今は来年度のための消化試合といった感がある。


 韓国は3月から新年度が始まるためそれも頷ける。今はもう年度末にあたるのだ。
 学校中の片づけや新装工事が行われている。
 先生方も来年度の校務分掌のことでよく話し合いをしている。誰が転勤で、誰がどのクラスを受け持つか・・・。

 新入生は1クラス20人になる。現在の30人学級から、何とさらに10人減らすのだ。今までのようにやんちゃな生徒は入学できない。
「来年度から学校が良くなるぞ。」とみんな目を輝かせている。来年度の話ばかりしている先生方に、私はちょっと溶け込めないでいる。私はもうその時にはここにいない。

 警報ベルが鳴る。教頭先生が飛び出していく。
 またタバコだろう。もうこの音に慣れてしまった。しばらくすると案の定、「4階のトイレで複数の生徒が喫煙。センサーが作動。」とメールが入る。日本の自分の勤務校ならば大問題となるところだ。だが、ここでは日常である。「あいつらまたやっているな。」くらいにしか思わなくなってしまった。「慣れ」とは恐ろしいものだ。他の先生方も警報ベルに全く反応していない。

 やっぱり学校は生徒が来ると活気がでる。生徒のいない学校は落ち着くのだが、どんよりとした時間がそこにはあるだけだ。
 生徒が来た学校はまるで巨大な生き物のように動き出し、呼吸を始める。

 
 先日、卒業生とその友人が日本から遊びに来た。卒業生らが遊びに来たのはこれで2回目だ。釜山で再会し、食事を共にする。
 
 二人ともしっかりしている。会話を交わしていても自分が一番子供っぽい気がしてくる。二人よりも20年以上長く生きているのだが・・・。
 それでも社会で生きていくというのは、やはりどの世界でも大変なようで、二人ともそれぞれ迷いを抱えているようだった。
 私はこうして卒業生らと異国の地で杯をかわすことの不思議さを感じていた。二人の話に耳を傾ける。
 
 その時、突然携帯電話が鳴った。別の代の卒業生からだった。会社である事態に巻き込まれて辞めるかどうか迷っているようだった。私は状況と今の心情を聞き、直感でアドバイスをおくる。私の言う「直感」とは「その時の気分」でもないし、いわゆる「一般常識」でもない。自分の経験からの言葉である。もちろんその言葉には責任がともなうが、自分にできるのはそれしかないと思っている。
 
 電話を終え、前に座る二人に「卒業生からの相談事だった。」と言うと、二人は頷く。
 一人が私を見つめながらこう呟いた。
「相談してきた時点で、その人、きっともう自分の中で答えは出ているんだと思う。」
 
 私ははっとさせられた。そうかもしれない。卒業生らはもう自立して生きているのだ。いつまでも「生徒」と思っているのは自分だけなのかもしれない。もうみんな一人の自立した大人なのだ。
 私は恥ずかしくなった。最近、どの時代の卒業生に会ってもこうやって恥ずかしくなることが多い。かつての「生徒」たちはずっと成長している。いつまでたっても成長しないのは、この自分なのだ。

 
 成長しないと言えば、このこともそうだ。
 私は異国の地の街外れにあるひっそりとしたバーに、一人で気軽にふらりと入れるようになりたいとずっと以前から思っているのだが、いまだにやたらと緊張する。そういうことを平気で行える人を羨ましく思う。

 そのネオンは暗闇の中に浮かび上がっていた。
 場所は珍島(チンド)の中心街の西の外れ。時間は夜の8時頃だったと思う。何故こんなところに・・・と思われるような、街外れの周りに何もないところにその店のネオンは光っていた。

 店の近くに四輪駆動車と大型のバンが停まっている。そして店の周りには鉄製の犬小屋がいくつかあり、6匹の犬が距離をおいて繋がれていた。犬たちが私をじっと見つめる。
 私はそのバーの扉を押すことはできなかった。言いようのない独特の雰囲気をその店は醸し出していたからだ。だが私を惹きつけてやまないのは、店のネオンに「JAZZ」の文字があったからだ。

 韓国の南西にある珍島。その街外れの暗闇の中に6匹の犬に守られながらあるジャズバー。たぶんもう二度とここに来ることはないだろう。そう思った私は意を決して扉を押した。そしてすぐ後悔した。音楽が流れていなかったからだ。


 中央にあるテーブルについてパソコンを眺めていた男が驚いたようにこちらを見つめる。髪には白いものが交じり、目が鋭い。オールバック。菅原文太に似ている。怖い。私は店をすぐ出たくなった。だがそうもいかない。

 店の内部は驚くほど洗練されていた。真正面には壁一面にJBLの巨大なスピーカー群がならび、右側にはカウンターがある。並ぶグラスはピカピカに光っていた。観葉植物の鉢植えが所々に並んでいるのだがよく手入れされているのが分かる。いくつもの間接照明を使い、落ち着いた雰囲気を作り出している。左手には上下に何段か階段があり、その先に小さな個室があるようにも思える。不思議な作りだ。建築物としてもかなりのこだわりが感じられる。

 菅原文太に似たマスターは怪訝そうに私を見つめる。他の客は誰もいない。
「一人?」と聞いてくる。私が頷くと個室の方に案内される。「一人なのでカウンターがいい。」というと、マスターはちょっと困った顔をして頷く。普段カウンター席は使っていないようで雑誌や書籍が置かれていた。マスターが「ここでもいいか?」と中央のテーブルの向かいの席を指さす。私は頷く。

 ジャズが流れ出す。私はギネスビールとミックスナッツを注文する。メニューを見ると値段は韓国のそこらの店の2倍から4倍に設定されている。だがメニューがあるだけ良心的に思えた。

 私の向かいにマスターは座る。ビールを勧めたが、首を横に振る。ミネラルウォーターを指さす。

 それから私は1時間あまりその店にいた。片言の英語と韓国語で菅原文太似のマスターとずっと語り合った。

どこから来た?」
「日本です。」
「日本?仕事で?」
「はい。今休暇中で、ここまで来たんです。」
「そうなんだ。」マスターは不思議そうに私を見つめる。
「歩いていたら、突然この店のネオンがあったんで・・・。」
「そうなんだ。」

 
「この島に他にジャズバーなんてあるんですか?」マスターは少し眉を寄せる。
「ないね。ここだけだ。ジャズを好きな人間もほとんどいない。」
「じゃあ、お客さんは?」マスターは微笑む。初めて見た笑顔は素敵だった。菅原文太の笑顔が素敵なように・・・。
「客はほとんどいない。俺の趣味でやってるんだよ。」そう言ってマスターは店の中をゆっくりと見回す。
 工夫が凝らされた間取り、センスのある内装、そして豪華なオーディオ機器、くもり無く光るグラス、手入れされた観葉植物、ずらりと並べられたCD、テーブルの上のアップルコンピュータ。お金を稼がなくてもいい身分なのだろう。客は別に来なくていいようだ。ここはマスターの王国なのだ。

「この島で生まれたんですか?」
「いいや。ソウルだ。ここに来て20年くらいかな。」
「このスピーカーなんかはどうしたんですか?」
「ここにあるもの全部、ソウルから運んだ。ソウルにいたときに持っていたものだ。」
「ソウルでもお店を?」
「いいや。」マスターは首を振る。その時、少し寂しげな表情をしたように思えた。

「犬がたくさんいますけど?」
「ああ、犬は好きだ。それにワイフが珍島犬センターに勤めているからね。」
 
 
 それからしばらくは、東京のジャズバーやジャズ喫茶の話をしたり、村上春樹の話をしたりした。
 
「マスターの好きな韓国人作家は?」そう聞くと、菅原文太似のマスターはちょっと宙を見つめ、メモ用紙に一人の男の名をハングルで書いて渡してくれた。
 
 私が店を出るときマスターは黙って右手を差し出してきた。私はその手を握った。大きく温かい手であった。
 
 店の外に出ると寒さが増していた。
 
 6匹の犬たちはみんな丸まり、眠りについていた。
 
 
 

2013年1月24日木曜日

今、どこにいる?

 突然思い立ち、ザックに衣服などを詰め込み、アパートをあとにした。

 今はまだ冬休み。時々学校の職員室に行き、イ先生から頼まれている教材研究をしていた。だがいつも職員室には3人ぐらいしか人はいない。
 日本の学校のように長期休暇中も毎日出勤などということは韓国にはない。韓国の先生方は長期休暇期間にはしっかりと休みをとり、家族でのんびりと過ごしたり、海外旅行に出かけたりするのだ。

 以前イ先生から「日本の学校はどうですか?」と聞かれたことがある。
「長期休暇といっても、部活動はあるし、課外授業もあるし、保護者面談もあるし、通常の勤務とそんなにかわりませんね。」と私が答えると本当に驚いていた。
「休暇は休まなければ・・・何故日本人はそんなに働くんですか?」
うーむ、そう言われてもなぁ。

 普段の授業がある日も、ほとんどの先生は勤務時間が終わればいなくなる。だいたい8割の先生がさっさと帰宅する。残りの2割、クラブ活動や放課後授業がある先生のみ残る。だがそれらの先生には、毎日の残業時間分の手当は支給されるのである。

 私は聞いた。「みなさん家に仕事を持ち帰ってるんですか?」すると「家に?どうして家に仕事を持ち帰らなければならないの?」と不思議がられたものだ。
 ある先生からはこうも言われた。「この休暇期間に、様々な体験をしてリフレッシュしないと。そして新しい気持ちで生徒と接するのが大切でしょ。」
うーむ、確かにそうなんだけど・・・、今の日本ではなぁ。

 昨年度の日本の教員の心の病などによる休職者が5000人を超えているという。10年前の二倍ということだ。病気休職者を加えると8500人を超える。日本の先生、大丈夫だろうか?自分は帰国して日本の学校のペースについて行けるのだろうか?

 
 韓国の地図を見ていてある地名が目にとまる。珍島・・・チンド。おう!天童よしみの『珍島物語』で有名なあの珍島ではないか。よしそこへ向かおう。
 
 私が今いる街からバスでまず光州(クァンジュ)へ。そして木浦(モッポ)、珍島(チンド)とバスを乗り継ぎ、モーテルに泊まりながら移動する。急ぐことなく、のんびりと移動する。
 
 私は韓国では一人旅の時はモーテルに泊まる。いかがわしい雰囲気のところも多いが、特に問題はない。だが、「きちんとしたところしかダメ。」という人はやめた方がいい。それと男性ならば大丈夫だが、女性一人旅の場合はモーテルはやめた方がいいかもしれない。ホテルの方がいいだろう。そのかわり小さな街にはホテルはないので、大きな街ばかり巡ることになるだろう。
 モーテルはどこにでもある。必ずある。小さな街では客が自分一人ということもよくあるが、宿のアジュンマ(おばさん)、アジョッシ(おじさん)はとても優しい人たちばかりであった。

 
 珍島(チンド)は「海割れ現象」で有名なところである。「海のなかに道ができる」というやつだ。だがこれは4月から5月頃におこる現象らしい。到着してからそのことを知る。まぁいい。いつものことだ。
 
 珍島(チンド)は珍島犬でも有名である。珍島犬は非常に頭が良く帰巣本能が強い犬だという。
 韓国観光公社のサイトにはこんな記載があった。「去る199310月、ある珍島犬が、大田(テジョン)の愛犬家に売られてしまいましたが、昔の主人を忘れることができず7ヶ月にわたって八百里の道を歩いて元の主人である珍島郡義新面トンジ村のパク・ボクダンお婆さんの元に帰って来たことが知られ全国民を驚かせました。」
 
 出会った子犬たちは本当に可愛かった。とても人なつっこくて自分が差し出す指をずっと舐め続けていた。自分はかつて10年以上雑種の雌犬を飼っていたことがあり、犬はとても好きなのである。子犬に触れていると懐かしい思いが湧き上がってきた。

 
 島の東端、セパンというところへバスで向かう。たしか12本しかなかったと思う。夕焼けを見たいと思ったのだが、あいにく空には厚い雲が・・・。まぁいい、とりあえず行ってみよう。
 
 小さなバスであった。乗客は小学生高学年くらいの男の子が3人、あとはおじいさんとおばあさんばかりであった。
 バスは田舎の細い道を走る。だがこのバス、独特なコースをたどる。細い道を入って行ったかと思うと、そこで客を拾い、またもと来た道を引き返す。客が声をあげると畑の真ん中でも停車する。どうやらこの地域の乗り合いバスのようなのだ。
 
 小学生達は次々とバスを降り、私以外はお年寄りばかりになる。やがておじいさん達がみんな降り、おばあさんだけになる。停車するごとに、乗っていたおばあさんが降り、あらたに別のおばあさん達が乗ってくる。おばあさん達はそれぞれ顔なじみのようで挨拶を交わし、会話を始める。
 
 周りは畑と収穫を終えた田んぼ、そして荒れ果てた野原ばかり。ほとんど人家はない。空は暗くどんよりとしていて、荒涼とした風景が続く。色彩というものが感じられない。茶色と灰色の世界がそこにあるだけだ。
 私はふと芥川龍之介の『蜜柑』を思い出す。個人的には芥川の作品群の中では最も好きなものだ。あのラストシーン・・・何度読んでも芥川の描写力に震えたものだ。鬼才は毒をふくみ自らこの世を去ったが、作品は今後も残り続けるであろう。
 
 『蜜柑』のように、私の乗る小さなバスには少女は乗っていない。おばあさんばかりである。
 
 斜めになった電信柱の横でバスは停まる。何人かのおばあさんが降り、また何人かのおばあさんが乗ってくる。
 何故こんなにおばあさんばかりなのであろうか?この世にはもうおばあさんしかいないような錯覚をおこしてしまう。ここはおばあさんの世界なのか・・・。自分は異空間に足を踏み入れてしまったのか?
 
 
 私の右隣に小さなおばあさんが座る。黒く細い杖と小さな布袋を持っている。それにしても小さい。おばあさん、あなたはどうしてそんなに縮まってしまったのですか?ホント何故こんなにも小さいんだろう?『マンガ日本昔話』に出てくるようなおばあさんである。年齢は80代後半に思われる。私の父方の祖母が今90代半ばだが、それに近い年齢に思われる。顔は日に焼けていて、目が落ちくぼんでいて小さい。深い穴の奥に黒い水が揺れているような目だ。
 
 しばらくしておばあさんが突然話しかけてくる。
「どこまで行くの?」
「は?」
「どこで降りるの?」

 声量は無くか細い声だが、とても温かみがあった。この国に来てアジュンマ達の叫ぶような甲高い声ばかり聞いてきたので、その小さなおばあさんの声を聞き、自分の中に温もりが広がるのが分かった。

「セパンで降ります。」
おばあさんは怪訝な表情を浮かべる。私が切符を見せると、
「あぁ、セポーン。」と言う。
 私が読むとこのハングルは「セパン」になるのだが、おばあさんは「セポーン、セポーン」と繰り返す。おばあさんが周りにいる他のおばあさん達に伝える。「セポーンに行くんだってさ。」周りのおばあさん達も「え?」っていう顔を自分に向けてくる。そして口々に「セポーン、セポーン。」と呟いている。
 
 何なんだ、いったい。そこに行ってはいけないのか?そこに何があるのか?踏み行ってはならない場所なのか?呪いの地なのか?私は聞いてみた。
「セポーンはまだですかね?」おばあさんは黙ってうなずく。そして首を振りながら「セポーン」とまだ呟く。見回すとバスに乗っているおばあさん全てが私を見つめている。私の隣に座る小さく縮んでしまっているおばあさんが口を開く。
「あなた、どこから来たの?」
「日本から来ました。」
「日本人?」
「はい。」
「仕事で?」
「はい。高校で日本語を教えています。」
「高校?先生なの?どこで教えているの?」

 私は自分の暮らしている街の名前を告げる。だがおばあさんは考えるように首を傾げ、知らないという。私は自分の発音が悪かったのだと思い、もう一度その街の名を告げる。それでも首を振る。私は驚いた。私の暮らす街は確かにこの珍島からはずっと離れたところにあるが、それなりに有名な地方都市だからだ。
 
 
 私はバスに揺られながら、かつてインドを旅していた時に出会った一人の少年を思い出していた。
 彼は自転車屋で働いていて、いつも店先でパンク修理などを手伝っていた。私は石の階段に座りぼんやりとその少年の作業を見つめていた。痩せていて、ボロぞうきんのような衣服を体に巻き付けている。手や顔は油で汚れて真っ黒である。額に汗が浮かんでいる。    
 私と目が合うと彼は微笑む。真っ白な歯が見える。それ以来その道を通るたびにちょっとした会話を交わすようになった。彼とはお互いたどたどしい英語で話した。

 彼が私にどこから来たのだと聞いてきた。「ジャパンだ。」と言うと「知らない。」と言ったのだ。私は驚き、そこにしゃがみこみ砂地の上に簡単な世界地図を書いた。そして日本の場所を教えた。彼は頷いた。
 
 周りにいた子供達も何事かと集まってくる。どの子の服も真っ黒に汚れていて、つぎはぎだらけである。鼻の下には鼻水が固まっている。私はジェスチャーを交えながら話す。
「それじゃぁ、君らが今暮らしているインドはこの地図でどこだ?」
と聞くとみんな首を振る。わずかに英語の分かる自転車屋の少年も「分からない。」と寂しそうな顔をした。
 
 私は胸が熱くなった。行っていないのだ・・・。みんな学校に行っていないのだ。学ぶ機会が与えられていないのだ。私はインドを指さした。
「ここがインドだ。今我々はここにいる。」
と伝えるとみんな嬉しそうに笑う。どの子も私の話を真剣に聞くし、食い入るように砂の上に書かれた地図を見つめている。
「ニューデリーは知っているか?」
「知らない。」
「カルカッタは?」
「知らない。」
 
 私は砂地に描いた世界地図を消して、インドの簡単な地図を指で大きく描く。みんなそれをじっと見つめる。
「いいか、ここがカルカッタだ。そしてここがプリーだ。こっちは海だよ。」
そう言いながら、砂の上に魚と船の絵を描く。みんなは私を見つめる。そして何事かを囁き合いながら微笑む。私の絵を指さし笑う者もいる。
 
「今みんなはプリーにいるんだよ。分かった?プリーはここだよ。」
「分かった。」
自転車屋の少年が頷き、周りにいる子供達に説明している。子供達が笑顔になる。みんな私を見つめてくる。
「ここはインドのプリーだよ。みんな今ここにいるんだよ。私はジャパン。ジャパンから来たんだ。」
と言いながら自分の胸を指さす。みんなは嬉しそうに頷く。誰の目も光っている。そして私の一挙手一投足に注目している。
 子供達の「学びたい」という炎のような情熱が私の胸を突き刺したのを今でも覚えている。
 
 
 おばあさんが私を見つめ突然こう言った。
「ありがとうね。」
私は驚いた。どういう意味だろう。私はおばあさんに感謝されるようなことは何もしていない。落ちくぼんだおばあさんの目をじっと見つめると、おばあさんはこう言った。
「この国に来てくれて、ありがとうね。子供達をよろしくお願いします。」
そして私に頭を下げたのだ。私は急に胸の奥が熱くなってくるのを感じた。そしておばあさんに何も言えないでいた。

 バスが停車するごとに、おばあさんたちは一人、また一人と降りていく。こんなところで生きていけるのかと思えるような何もない場所でおばあさんたちは降りていく。そしてもう乗る者は誰もいない。
 
 やがてバスは、今にも崩れてしまいそうな傾いたあばら屋が二軒建っているだけのところに停車する。私の隣に座っていた小さなおばあさんは、そこでバスを降りた。席を立ち上がるとき、また私に頭を下げて言った。
「来てくれてありがとうね。よろしくお願いします。」
私も頭を下げて
「さようなら。お体を大切になさってください。」と言った。
おばあさんは微笑む。

 杖をつきながらゆっくりと歩くおばあさんに、あばら屋から出てきた灰色の犬がしっぽをふりながら近づいていく。

 バスの扉が閉まる。乗客は私一人きりになった。

 今、自分はどこにいるんだろう?