2012年7月21日土曜日

歌が聞こえる

 ファン先生はこの春転勤してきた男性教員である。
 40代後半か、50代前半と思われる。背が高く、筋肉質で色が黒い。少し背を曲げゆっくりと歩く。
 私は最近になってファン先生が国語の教員であることを知った。ずっと工業か、体育の教員だと思っていたのだ。

 ファン先生は転勤してきて新二年の一番大変なクラスの担任になった。
 このクラスの何が大変なのか・・・。それは授業を成立させるのが大変なのである。まず欠席者が多い。とにかくまず人がいないのだ。いつも電気がついていなくて暗い。ゴミが散乱している。教科書、筆記用具を持ってこない。私が以前授業しに行った時は、20人ほどいなかった。教室に10人もそろっていないのだ。教室を出て生徒を探す。だが、校外に出てしまっていたり、トイレから出てこない者もいる。そして教室にはタバコの臭いが漂っている。

 私はこのクラスでは、50分の授業でなんとか20分は集中させることを目標にしている。だがそれも至難の業だ。あとは生徒と雑談したり、日本のドラマなんかを見せたりしている。
 ただこのクラスは元気が良くひょうきんなものが何人かいて、よく大声で挨拶してくる。私はこのクラスに行くのが少しずつ好きになってきた。そして生徒ともだんだん仲良くなってきた。
 この間、夏休み前の最後の授業に行った。今学期最後なので、はりきって行ったのだが、8人も欠席していた。もう勝手に夏休みにはいっているのだ。


 このクラスの担任がファン先生なのである。
 ファン先生は、厳しくそして温かく生徒に接している。
 朝は通学路に立つ。そして生徒に声をかける。服装が悪い者を注意し、裏道でタバコを吸っている者をつかまえる。いつも職員室の前に何人もの生徒を正座させ、反省文を書かせている。廊下でもよく生徒の肩をつかみ何事かを話しかけている。大きな手のひらで生徒の背中をおもいきりバシッと叩く。竹や木でできた棒で生徒を叩く先生が何人かいるが、ファン先生はいつも素手だ。ドスの効いた静かな声で生徒を叱る。

 今、この学校で一番生徒から恐れられていると思う。私が廊下を歩いていると手をあげて元気に挨拶をする生徒も、ファン先生には萎縮して頭を下げる。

 ファン先生はいつも早々に昼食を終え、自転車をゆっくりとこぎながら、学校内や校外を回る。そしてタバコを吸っている者やゲームセンターに行っている者をつかまえて、職員室の前に正座させる。


 時間があれば生徒の親と連絡をとっている。難しい親が多いようだが、粘り強く語りかけている。そして学校に親を呼び、話をする。この学校には相談室のようなところがないため、いつも親が来ると職員室の端にあるソファーがあるところで話し合いをする。ほとんどの親が、荒れる息子、学校に行かず街を徘徊している息子にどう接していいか分からず悩んでいるようだ。時には全ては学校が悪いと決めつけて大声で学校批判をし続ける親もいる。だがファン先生は親の言葉をよく聞いている。そして言うべきことはびしっと言う。

 教頭先生ともいつも何事か相談している。何について話しているのか分からないが、ファン先生の言葉を聞いている教頭先生は、いつも何かを考えている表情を浮かべて黙っている。

 私が放課後授業からもどると、誰もいない暗い職員室で、時々一人で机についているファン先生を見かける。パソコンを見つめながら仕事をしているときもあれば、何かをじっと考えているときもある。


 ファン先生と共に転勤してきた別のある教員が、私にこう声をかけてきたことがある。

「あなたはいつまでここにいるの?」
「来年の春までです。」
「この学校ひどいね。」
「え?」
「生徒は授業なんて受けないし。」
「はぁ。」
「自分も一年で転勤するよ。」
「え?」
「あなたも来年の春までなんだろ。」
「はい。」
「じゃあ、一緒にさよならだ。」

 その先生はその後、自分が今までいた学校がいかに素晴らしかったかということをずっと私に聞かせた。そしていかに自分が生徒達から信頼されていたかということを語り続けた。
 その先生が言うには、以前いた学校は生徒達がしっかりと授業を受け、目標や夢に向かって活き活きと生活していたらしい。そしてその先生は生徒からものすごく慕われていて、素晴らしい関係が作られていたということであった。私は黙って聞き続けた。そしてその先生は最後に私にこう言った。
「あなたはアンラッキーな人だ。せっかく韓国まで来たのに。」

 アンラッキー?・・・私はなんだか無性に腹が立った。何か胸のずっと奥にある炎のようなものが吹きあがるのを感じた。こんな感覚を覚えるのは久しぶりである。だが何も言わなかった。そして曖昧に微笑んでその先生から離れた。

 そういえば転勤していったある別の先生も同じようなことを私に言った。
「今度私が行く学校はいい生徒ばかり。本当にうれしい。ここは設備は一流だけど、生徒は三流だからね。あぁ、あなたはここだけで終わりだったね。」
 私はその時も曖昧な微笑を浮かべてその人から離れていった。


  「あきらめる人」がいる。「逃げる人」がいる。
 だが、「あきらめない人」がいて、「逃げない人」がいる。

 ふと職員室の窓の外に目を向ける。

 今日もファン先生が一人自転車に乗り、昼の見回りに向かう。ファン先生は少し背中を曲げて上目遣いに自転車をこぐ。小さく口笛を吹いている。

 雲間から日差しがそそいでいる。熱を含んだ風が行きすぎる。

 「あきらめない人」の歌が遠ざかっていく・・・。


 
 この夏、しばらく日本に一時帰国します。
 残り半年間乗り切るために、リフレッシュしてこようと思っています。
 みなさんもよい夏を・・・。



2012年7月12日木曜日

一人で変わる。一人が変える。


 この春に20人以上の先生が転勤になった。その中には同じ日本語科でずっと自分のことを着任当時から世話をしてくれていたキム先生も含まれている。
 日本語の単位数減、教員数減という自分には寝耳に水の事態を知らされ、私は少なからず動揺した。日本語は必要ないと思われているところで自分が働いているという事実を知り、その時は気持ちが重くなった。そのためキム先生との関係も半年間で終わってしまった。ほんの短い期間だったが、私はキム先生から多くのことを学んだ。

 キム先生は50代の女性で、学校のボス的存在であった。明るく世話好きで、キム先生の周りにはいつも自然と多くの人が集まった。管理職や工業科の強面の先生達もキム先生には一目置いていた。


 キム先生は遠慮なくものを言う。
 言われた男性教員はみんなたじたじとなる。それでもキム先生の物言いは全く嫌みがなくカラリとしているので最終的にはみんな笑顔になる。
 明らかにその筋の人という人相をした先生達もキム先生には頭があがらない。一番ヤクザ顔をしている先生はキム先生におしりを蹴り上げられて悲鳴をあげていた。

 私もかなりいろいろと言われた。「それでも日本人?」「こんなこともわからないの?」「それだけしか食べられないの?」「それだけしか飲めないの?」「情けないね。」「勉強して下さい。」「日本人なのに何故日本のことそんなに知らないの?」「あなたバカね。」「本当に弱いね。」「男でしょ。」等々、もう言いたい放題なのである。ここまでけちょんけちょんに言われたのは、人生で初めてである。私は言われるたびに苦笑いを返すことしかできなかった。だが何故か嫌な気持ちにはならなかった。

 キム先生はとても世話好きである。
 このお菓子がおいしい、あの果物が良かったと言っては家から持ってきて周りにどんどんと配る。そして食べてみろと急かす。だから私は今までいろいろとめずらしいものを食べてきた。
 誰かがどこかへ行ってお土産なんかを職員室の中央にある机に置くと、キム先生はすぐにそこに行き、大量にゲットし我々のところへ持ってきてくれる。そしてみんなでワイワイと語りあいながら食べる。大声で笑う。

 キム先生はいろいろな人にツッコミを入れる。
 「ありがとうございます。」とみんなが言うと、「あんた達、本当に心からそう思っているの?」と切り返す。
 「気持ちいい朝ですね。」と誰かが言うと、「どこが気持ちいいのよ、全然気持ちよくない。私は眠りたいの。」と切り返す。

 家にも招待してくれて、私はキム先生のご家族とは何度か食事もしている。
 キム先生の旦那さんはどんな人だろうと私は実はとても興味を持っていた。キム先生はどんな男性を選んだのだろう?
 そして初めて旦那さんに出会った。その人は・・・・神様のようなゆったりした人であった。仏様のように温かい人であった。お酒が好きでふわりとした感じの人であった。だけど目には何か強い意志が感じられた。「なるほどね。」と私はその時妙に納得したのであった。


 私の家族が韓国に来たときも食事に誘っていただいた。キム先生だけでなく、いつもいろいろな先生方にご馳走になってばかりなので、今度は自分がみんなのために食事の場を設けたいと言うと、キム先生は
「豪華な食事なんだろうね?」と言ってくる。
「はい、大丈夫ですよ。何にします?」
「いくら出すの?」
「え?」
「だから、いくら出すの?」
「出せる範囲なら。」
「じゃあ100万ね。」
 100万か・・・、韓国で100万ウォンといえば何人もの人がかなり贅沢な食事ができるはずだ。
「分かりました。100万ウォンですね。じゃあ場所は先生が決めて下さい。」
 キム先生は頬杖をつき目を細くしてこちらを見つめる。
「何言ってるの?」
私はどぎまぎして答える。
「いやぁ、ちょっとどんな店があるのか自分はまだ分からないので・・・。それにみなさんがどんなものを食べたいのかもわからないし・・・。」
キム先生が私をギロリと睨む。そしてドスを効かせた声で言う。
「店なんかどうでもいいの。」
「え?」
「店なんか私がいっぱい知ってる。」
「あ、はい。そうですよね。」
それよりエンよ。」
「は?」
「ウォンじゃなくてエン。」
「エン?」
「そう、円よ。100万円よ。」
「へ?」
そして私がどう答えたらいいか困っていると、突然大笑いをするのである。
「何かお返しをしようなんて考える必要は全くないのよ。ここではね。」と言ってまた大笑いする。


 私が体調を崩すとものすごく心配し、薬局に行ったり、いろいろな食べ物を買ってきてくれる。私が「すみません、ありがとうございます。」と言うと「ホント、弱いねー。弱い、弱い。」と言われる。

 懇親会や食事会では必ずみんなの中心になって場を盛り上げる。他の女性の先生方が一次会で帰っても二次会三次会と最後まで参加する。そして疲れ果ててうな垂れている我々男性教員達に「ほら、しっかりして、帰るよ。」と声をかけ、みんなをきちんと帰宅させる。

 毎週行われる教員のバレーボールの試合では、キム先生が中心となり女性チームを結成し参加する。女性の先生達もみんなものすごくうれしそうに活き活きとプレーする。だがキム先生はものすごく負けず嫌いなので目には炎がある。負けるとものすごく悔しがり、もう一度勝負しろと叫ぶ。

 生徒への対応もすごい。
 授業では眠っている生徒の頭を叩いたり、耳や頬を捻り上げたり、机や椅子をおもいきり蹴ったり、ショルダータックルやヘッドロックをしたりする。男子高校生にここまでやれる女性教員に会ったのは初めてである。
 生徒がちょっとでも反抗的な態度をとったら大変なことになる。その生徒に詰め寄り、ものすごい剣幕で叱り上げる。生徒はそのあまりの迫力に圧倒され、たじたじとなる。そのためどんな横着な生徒もキム先生だけには頭が上がらなかった。
 私が授業に一人で行くと生徒達は必ず聞いてくる。
「先生、今日キム先生は?」
「いるよ。」
「どこに?」
「職員室に。」
「授業に来るの?」
「忙しいみたいだから、今日は私が一人でやるよ。」
すると生徒達はウォーと叫び声をあげガッツポーズをする。みんなやたらと元気になる。
 まぁそれだけ私が生徒からなめられているってことなんだけれども・・・。


 そんなキム先生が転勤した。
 これで学校は少しずつ変わっていくんだろうなぁと私は思っていた。だがそれは違った。「少しずつ」なんてものじゃなかった。ガラリと変わったのである。やはりキム先生のこの学校での存在は圧倒的なものだったのだ。

 まず職員室が静かになった。
 コーヒーを飲みながら談笑したり、お菓子や果物を食べながら冗談を言い合ったりすることなどなくなった。みんな静かにパソコンを見つめている。教員同士の会話が極端に減り、キーボードを使う音が聞こえてくる。みんなパソコンを見つめている。ヘッドフォンをはめる人が多くなった。かく言う私も、たびたびはめるようになった・・・。

 工業科の先生は実習棟にずっといて、ほとんど職員室に来なくなった。

 毎週水曜日に行われている親睦バレーボール。私は欠かさず参加しているのだが、女性の先生達は参加しなくなった。
 水曜日には、体育館には飲み物や食べ物が大量に準備されている。初めの30分ほど、女性の先生方は来て、準備されているものを食べながら我々の試合の応援をする。だがキム先生がいた時のようにチームを作って参加することはなくなった。そしてすぐにみんな帰ってしまう。後は男性教員だけでずっと試合を行う。

 頻繁に行われていた懇親会も少なくなり、あっても女性の先生が誰も参加しない。いつも男性教員だけで懇親会を開いている。

 私個人についても大きな変化があった。
 全ての授業を単独で行うことになった。もう一人の日本語科の韓国人教師のI先生からは「授業は全て一人で。」と言われたのだ。今までも一人で行うことが多かったが、私は会話練習の部分を中心に行っていて、詳しい文法的な説明については韓国人教師が韓国語で行ってくれていた。それがキム先生の方針であった。
 でもそのサポートも今はない。私の韓国語力では限界があるので、そのことをI先生に相談したのだが、「授業は一人で。」とくり返されるばかりだ。そして教師用の指導書を渡された。もちろん説明は全てハングルで書かれている。それを電子辞書を使いながら内容を把握した上で、なんとか授業をすすめている。
 でもなかなかうまくいっていない。クラスコントロールに必死といったところだ。

 この壁は自分にとって久しぶりに巨大な壁である。授業のことがプレッシャーになっているのだろう、夢の中でも授業をしている。金曜日の最後の授業が終わると本当にホッとする。だが日曜日の朝にはもう月曜の授業のことが重く自分にのし掛かってくる。まぁ教師って職業はそんなものかもしれないけれど・・・。

 私は今、一人で授業をし、一人で職員室の机にいて、一人で帰っていく。他の先生方と一言も話さず、一日が終わるときもある。どれだけキム先生が自分をサポートしてくれていたかということを今になって痛切に感じる。そして今は生徒との会話だけが唯一の「人間との会話」である。


 授業中スマートフォンで音楽を聴いていた生徒からそれを取り上げ何日か預かっていた。この生徒とはその時いろいろともめたが、結局没収し、自分の机の引き出しに保管していた。それを電子機械科の実習室にいる生徒に返しに行ったときのことだ。
 一人の工業科の先生に呼びとめられた。この先生はとても明るい先生で私にも日本語で挨拶をしてくることがある。時々職員室にも来て、場を明るく盛り上げて帰っていく。
「お茶でも飲んでいきなさい。」と実習室の横の教員室に誘われた。ここにはキム先生と二人で何度か訪れたことがある。そしていつもコーヒーをご馳走になっていた。

 その日はとても暑い日で、冷えた梅ジュースをいただいた。
「授業はどう?」
「難しいです。ここでの授業は・・・。今は一人だし・・・。」
「さっきの携帯は?」
「授業中使っていたので・・・。」
「そうか。」
電子機械科の先生は何度も頷きながら嬉しそうに笑う。

「キム先生がいなくなって大変だろ?」
この先生だけではなく、多くの先生から何度となく言われた台詞である。
「大丈夫です。」
私はいつもそう答えることにしている。
 その後、今の職員室の様子とか、親睦バレーボールのことについて会話を交わした。
 私はグラスに口をつける。冷えた梅ジュースが喉を潤してくれる。とても心地いい。
 その先生は梅ジュースが入ったグラスを揺らす。氷が小さな音をたてる。先生はグラスの中をじっと見つめている。
「こんなに変わるんだねぇ~。たった一人がいなくなるだけで・・・。」
 その先生は確かにそう言った。私の韓国語力はまだまだ全然ダメなレベルなのだが、時々ストンと単語の連なりが胸の奥に落ちてくることがある。その時もそうであった。


私は梅ジュースを飲み干し、立ち上がる。
「ご馳走様でした。」
「また、来なさい。」
「はい、ありがとうございます。」

 教員室を出たときの私は、なんだか元気が湧いてきていた。そういえば人ときちんと話したのは久しぶりな気がする。

 さて授業頑張るか・・・。生徒とどんなバトルが待っているか楽しみだ。

 どこか遠くから金属を削る音が聞こえてくる。教員の怒鳴り声も聞こえてくる。笛の音や、生徒の笑い声も聞こえてくる。

 実習室の長い廊下に差し込む初夏の日差しに、私は思わず目を細めた。