2013年2月22日金曜日

踊る火

 数日前から帰国準備に取りかかっている。帰国日が228日のため、さすがにのんびりはしていられなくなった。

 他の仲間達、ニュージーランドのカナイさんも、ドイツのモリさんも、オーストラリアのヤマダさんとホリオさんも、どうやら3月半ばに帰国するようなので自分が最も早く日本の地に戻ることになる。

 釜山から船でのんびりと戻りたかったのだが、契約の関係上、金海国際空港から飛行機で戻ることになった。本人が船で戻りたいと言っているのにそうはいかない。「契約」って恐ろしい。そしてなんだか滑稽にさえ思える。与えられた「予算」は使い切らなくてはならないのだ。ルールは変えられないのだ。そこに個人的な「想い」を挟む余地はなさそうだ。


 以前ホリオさんのブログで「荷物を二つ送りました。」という記事を読み、自分もそれからしばらくして船便で一つ送ってみた。「韓国からの船便は紛失の恐れアリ。」の情報を得ていたんだけど、実験してみた。

 本やら夏服やら適当に詰め込む。20キロで船便だと3500円くらい、航空便だと5300円くらいだろうか。一番早いEMS(国際スピード郵便)だと5400円くらいといったところだ。韓国に旅する人は参考にしてください。おみやげなど重い荷物を持って帰国するより、送ってしまった方が楽、肉体的にも気持ち的にも。

 郵便局で必要事項を記入すればそれで終わり。かなり経った後、「荷物届いたよ。」という知らせが家族からあった。船便も大丈夫のようだ。さすがに今はもう船便で送るわけにはいかないので、航空便とEMSを使用。結局全ての荷物で段ボール5箱になった。5箱送って2万円をちょっと超えたくらいだ。日本から韓国へはこの倍くらいはかかったと思うのだが。

 ただちょっと伝えたいことがある。あまり慣れていない人はソウルや釜山などの大都市の大きな郵便局やホテル、デパートから送った方がいいと思う。私の場合は一日一箱のペースで近所の小さい郵便局から送ったのだが、最初はちょっと大変だった。街の小さな郵便局は日本語も英語も通じない。つまり韓国語オンリー。それに職員が海外への荷物の扱いに慣れていないのだ。


 大きな荷物を抱え込んで郵便局に入ると、若い職員は驚いて私を見る。
「どこに送りますか。」
「日本へ。」
「日本・・・。」
職員は急に慌てだし何かをパソコンで調べ始めた。
「伝票下さい。」
と私が言ってもくれない。伝票を探しているのだ。
「EMSでいいですね。」
「いや、船便で。」
職員の目に動揺が広がる。
「船便はちょっと・・・。」
「船便でお願いします。」
「船便は・・・。」
「船便でお願いします。」

 やっと伝票を探し出し渡してくれる。必要事項を書き込み手渡すと、職員はそれをのぞき込み、パソコンと読み比べている。それも11行舐めるようにのぞき込んでいる。遅い。時間がかかりすぎだ。ようやくこちらを見て言う。
「ここに載せて下さい。」
量りを指さしている。荷物をそこに載せる。職員は何度も荷物を量りの上でずらす。・・・なんでそんなに位置を変える必要があるのか。さっきから全く重さに変化はないじゃないか・・・。

「え、えっと重いじゃないですか。」
・・・重いからなんだというのだ。
「船便は20キロまで大丈夫。」
私が教える。
「え?船便・・・。」
そう言いながら職員はパソコンで調べ出す。・・・おいおい今からそんなこと調べるのかよ。勘弁してくれよ。しばらくしてようやく
「本当です。20キロまで大丈夫です。」
職員はうれしそうに笑う。
「大丈夫でした。」
また言う。・・・二度も言わなくていい。あたりまえだ。こっちは来る前にネットで調べているんだ。

「いくらですか?」
「え?それはちょっと待って下さい。いくらかというのはちょっと・・・。」
またパソコンで調べ出す。・・・調べなくていい。もうこっちは分かっている。確認のために尋ねただけだ。
 しばらくすると職員はこちらが用意していた値段を言う。私はお金を払う。今度は5万ウォン札を裏表ひっくり返して見つめている。・・・オイオイ、偽札のわけないだろ。それとも5万ウォン札見たことないのかよ。そして札を見つめながら頷いている。・・・何を頷いているの。いったい何が分かったというの。何故そんなに満足そうな顔になってるの?


 今度は控えをくれない。私が伝票を指さすと、職員は一枚一枚めくり慎重に確かめている。・・・三枚目に「RECEIPT」って書いてあるじゃないか。それをくれよ。だが職員は4枚目、5枚目とめくり調べている。じっくりと。そしてまた初めから。・・・だから三枚目をくれよ。やっと三枚目のところで指が止まる。何やら顔を近づけ真剣に読んでいる。・・・読まなくていい。それだ。間違いない。それをくれ。職員が私を見て頷く。・・・何を頷いているんだ?それで間違いないから早くくれよ。ようやく職員はその一枚をはがして私に手渡す。

 私が帰ろうとすると職員が「あっ。」と言って慌て出す。私は振り返る。
「保険はつけますか?」
「いらないです。」
「でも保険・・・。」
「いらないです。」
「保険があるんですよ。荷物が壊れたり・・・。」
・・・もう~いらないんだよ。任意の保険があることくらい知っている。だけど中身は本と服が主に入っているんだから・・・それに紛失は覚悟しているから。いらないの。
「あの~保険はですね・・・。」
・・・まだ言うか。しつこいなぁ。
「いりません。」
何故か職員はホッとした顔をして微笑む。
「保険はいらないんですね。」
・・・だからさっきから何度も言っているじゃないか。
「いりません。」
私は笑顔で答える。
「保険はいらないと。」
・・・おいおいまだ言ってるよ。

 こりゃこれから大変なことになるなぁと思い、伝票を何枚かもらってあらかじめ家で書いて持ってくることにした。
「あのー、航空便用の伝票2枚とEMSの伝票2枚ください。」
職員の顔が引きつる。
「何故伝票が・・・。」
「家にまだ荷物がたくさんあるので・・・。」
職員の額に汗がにじんでいる。眼鏡が少し曇っている。
「家に荷物が?」
「あるんです。たくさん。」
「たくさん・・・。」
また職員の目に動揺が広がる。
「家に荷物がたくさんあるんですね?」
・・・だからそう言っているじゃないか。何故そんなことを確認するんだよ。
「たくさんあるんです。」
私が「たくさん」という語を強調して言うと、職員の眼が泳ぎだした。
「たくさんあるんですね。」
・・・また言う。まだ言うか。何故なんども言うかなぁ。

 そしてしばらくすると、その若い職員はとても大切そうに4枚の伝票を渡してくれた。
「ありがとう。あの荷物お願いします。」
と私が言うと、
「分かりました。さようなら。」
と頭を下げた。

 それから随分と日数が経ってからまた荷物を持ってその郵便局に出かけた。その若い職員は驚いて私の方を見た。だが驚くのは私の方だった。その後の迅速な対応。迷いが一切ない。きっとあれから海外への荷物配送業務について学んだのだろう。あの日本人が荷物をまだこれから4つも持ってくるという恐怖心があったのかもしれない。というよりもやはり経験が人を成長させるのだろう。

 今日5つめの最後の荷物を持っていったのだが、対応は素早かった。動きに無駄がなく自信さえ感じられた。そして私がお金を払うと心なしか寂しそうにこちらを見つめる。もう私がここに来ないのを分かっているのだ。私が
「ありがとう。」
と言うと
「さようなら。」
と頭を下げた。そう、ホントにこれで「サヨナラ。」だ。もう会うことはきっとないだろう。


 日本語の指導本、DVD、手作りの教材、書道セット、手人形、言葉カード、その他大量のレアリア(浴衣、帯、けん玉、竹とんぼ、だるま落とし、カルタ、折り紙、お札セット、破魔矢等々)などは、全て置いていくことにした。イ先生はとても喜んでいた。ここで役にたつならその方がいい。

 まだ充分使えるがもう着ないと思った服は、街の片隅にある「古着回収ボックス」へ。
 あと靴なんかはゴミ捨て場の近くに置いておくとすぐなくなってしまう。早朝、段ボールや瓶を集めているアジョッシやアジュンマが持っていてしまうのだ。特に瓶は注意深く集められている。ゴミ袋も開けられる。そして瓶を回収した後、丁寧に袋は閉じられる。その後にゴミ収集車が来るのだ。

 その現場に私はよく居合わせていた。雨の日も雪の日もアジョッシやアジュンマはその作業を続けていた。だから私はビールなどの酒類は必ず瓶で買い、それらだけ袋を分けて置いておくことにした。他のゴミ袋が残っていても、瓶が入ったその袋は早朝には必ずなくなっていた。
 下町を歩くと段ボールや瓶を積んだリアカーやカゴ車をひきながら歩く人々をよく見かける。なかにはかなり歳をとった人もいる。

 
 学校の机も整理する。大量に貯まったプリント類。シュレッダーにかけたり、ゴミ箱に捨てたり。パソコンの中身も整理。・・・っていうか全部「ごみ箱」へ。
 よし身軽になったと思ったのに、服や本その他の雑貨などの私物が段ボール4箱、おみやげなどの食材が1箱。これらをまた日本で開封すると思うとうんざりする。もしこれらの荷物が運送途中に紛失したとする。・・・なんだかそれでもいいような気がしてきた。今それらがなくても現実にこうして不自由なく生きているのだから。でももう送ってしまったのだから遅い。それにあの若い郵便職員との出会いもあったし・・・。

 こちらに来て新しく買ったアイロンや卓上スタンド、温風器などの電気製品は次の派遣者のために置いていくことにした。これらは役に立つはずだ。一番愛着がある自転車も、必要とする生徒に渡るように手配をした。

 そんな作業を学校とアパートでしている間に、送別会がなんと5回。全体のものや有志で開いてくれたものなどだ。特に有志で開いてくれたものには、昨年転勤されたキム先生やチョ先生まで来てくれて、久しぶりに杯を交わすことができた。

 それらの乱立する送別会の間を縫って、カン先生とまだ雪の積もるチリ山をトレッキングする。目的は「夕陽を見る」、・・・ただそれだけだ。


 雪道を登る。今回はアイゼンを持ってきていなかったため、足が雪や氷にとられる。山中にある待避所で夕焼けを待つ。巨大なバケツからくみ取った水をバーナーで沸かし、コッヘルでラーメンを作る。待避所の水道管は凍り付いていて水は出ない。
 マッコリで乾杯。隣で食事の用意をしている家族連れにもマッコリをお裾分け。ラーメンやキムチをつつきながらしばらく待つ。やがてその時がやってくる。
 待避所から外に出て夕陽を見つめる。山に落ちる夕陽を見るとき、人は誰も言葉を発さなくなる。

 その日はカン先生の山小屋に泊まった。
 私は何故だか身体が冷え切って震えていた。それを見たカン先生が焚き火をおこす。火を見つめながらマッコリを二人で酌み交わす。この山小屋に来ることはもうないかもしれない。

 踊る火が身体も気持ちも溶かしてくれた。温泉に浸かっているように心地よい。身体のずっと奥から安心感が湧き上がってくる。

 火の向こうにいるカン先生はいつものようには話さない。黙ったまま揺れる火を見つめている。そして時々新しい薪をくべる。

 静かだ。風は全く吹いていない。山小屋を囲む木々達も微動だにしない。まるで木々達もじっと火を見つめているように思えてしまう。踊り続ける火以外は、油絵の中にいるように全てが動きを止めている。
 時々燃える木がパチパチとはぜる。そしてまた無音の世界がおとずれる。果てしない静寂の中で火は静かに踊り続けている。


 ふと横を見ると我々と同じように子犬が火を見つめている。彼女も動かない。じっと火を見つめ続けている。
 彼女の目にはこの火はどんなふうに映っているのだろう。そしてふと思う。

 この火はあくまでも自分が捉えている火なのだ。自分は今、自分の眼を使いこの火の動きや色彩を捉えている。自分の触覚を使いその温度を感じている。臭いを感じている。だがこの火はあくまでも自分にとっての「リアル」なのだ。この子犬は別の世界を見ているはずだ。感じているはずだ。カン先生もそうだ。小屋を囲む木々達もそうだ。それぞれの「リアル」があるはずだ。そしてそれは私の「リアル」ではない。

 それぞれが全身全霊を使い世界を捉えている。世界はそれぞれの中にある。そしてそれが間違いのない「リアル」だと誰もが錯覚し生き続けているのだ。人間の五感で捉えることができる世界など、たかが知れているのかもしれないのに・・・。

 でもだから人は寂しがり屋で、他者と繋がることをいつも求めるのかもしれない。宇宙の果てにまでも求めようとする。その錯覚を埋めるために。その溝を埋めて、それぞれの「リアル」を、・・・それぞれの世界を近づけるために。

 静寂の中で火だけが様々な形に変容しながら踊り続けている。それを囲む世界は微動だにしない。火は一度として同じステップを踏むことなく踊り続ける。世界はそれを見守り続ける。

「今頃気づいたの?」・・・彼女は火を見続けている。

 カン先生が新しい薪を火の中に放り込んだ。
 たくさんの火の粉が空に舞い上がり、やがて消えていった。


 

2013年2月13日水曜日

韓国を食べる・その4

 今年のソルラル(旧正月)での休日は2月9日~11日までであった。土日と重なったため三日間の休みとなった。韓国には振替休日がないのだ。そのため祭日が土日と重なると自然消滅してしまうことになる。この期間韓国人は故郷へと大移動を行う。

 私はソウルへと向かった。
 日本での同僚と元同僚の先生方計6人が休みを利用して遊びに来てくれたのだ。ほとんどが自分より先輩だし、副担をやってくれていた先生もいて、私は久しぶりに落ち着くことができた。
 食べ、飲み、そして語り合った。みんなものすごく多忙にも関わらず、足を運んでくれたことを心から感謝している。私がいくら生意気なことを言っても、どっしりと受けとめてくれるあの度量が自分も欲しいと思った。いつになることやら。先生方の笑顔を見て力が湧いてきた。

 
 休日にカン先生に山に誘われる。
 木を伐り、それを運び乾燥させる。
 私は生まれて初めてチェーンソーを体験した。力がいるし、コツがいる。カン先生の作業を見ていると簡単そうに見えるのだが・・・。木はそう簡単にバラバラにはなってくれない。必死に抵抗してくる。
 
 今度は丸太を斧で割る。
 この作業も難しい。そう簡単には割れてくれない。それでもやっているうちに少しずつコツをつかんでくる。体が全身で学ぼうとしている。
 よしできるようになったぞと思ったときに鈍い音がした。斧の刃の近くの柄が折れて、刃先が吹っ飛んでいった。カン先生に謝ったが、カン先生は「かまわん、かまわん。」と笑っている。
 
 今度は松の剪定。
 カン先生は猿のようにするするするっとあっという間にかなりの高さまで登ってしまう。そしてノコギリで太い枝をどんどん切り落としてくる。それらを下で集めるのが自分の役割だ。
 それにしても何故あんなふうに登れるのだろう。やっぱりあの人は猿だ。でなければ仙人だ。
 
 
 山で生きるのは甘くない。弱い者は山を下りるしかない。
 真冬というのに私は汗だくになって太い枝を運んでいた。自分の生き物としての弱さをつくづくと感じた。カン先生は、松のずっと上の方で涼しい顔をして作業を続けている。レベルが違いすぎる。生き物としてのレベルが・・・。
 
 そんな私を励ますように、新顔の子犬が私の足下にすり寄ってくる。息をきらして作業をする私を彼女は不思議そうに眺めている。
 このメスの子犬とはすぐ仲良くなった。だが彼女にはきっと分かるのだろうな。自分とカン先生の生き物としての差を・・・。犬は強い者を見分けるスペシャリストだから。

 

 久しぶりにまた韓国の美味いものを紹介しようと思う。写真では伝わらないかもしれないけど・・・。


 まず麺類から。
 これはフェネンミョン。
 エビだのタコだのヒラメだのタイだのいろいろな刺身が入っている。よくかき混ぜて食べる。外国科の先生方がご馳走してくれた。地元にある専門店で食す。美味い。麺のお代わり自由。



 ミルミョン。
 釜山の老舗で食す。これに熱々の牛骨スープが付いてくる。冷たいミルミョンを食べた後、何故だか熱々の牛骨スープがやたらと合う。不思議だ。




 これはスジェビという。
 幅広の麺がちぎってある。スープはやたらと辛かったが、食後は体が中から温まってきた。カン先生にご馳走になる。カン先生によると、子供の頃よくおやつ代わりに食べていたとのこと。これを子供のおやつにするとは・・・流石韓国。



 ヒラメやタイなどの刺身。
 口の中でとろける。こうやって冷やした石の上に盛りつけて出されることもある。外国科の先生方にご馳走になった。



 これは蒸しパンなんだけど、よくこうやって職員室の机の上に誰かが置いておいてくれる。生徒の保護者などが持ってきてくれたりする。まだ温かくて美味しい。



 おでん。
 韓国のおでんは日本とはちょっと違う。スープの味も違う。よく屋台の周りで立ったまま食べる。冬は体が温まっていい。



 チョッパル。
 いわゆる豚足である。私は市場でいつもこれを買う。サンチェなどの野菜に巻いて食べても美味い。ビールや焼酎がとても合う。



 サムギョプサル。
 豚の三枚肉のスライス。余分な脂をとばしてカリッと焼いて食す。これもビールや焼酎によく合う。この時は生徒指導の先生にご馳走になった。



 ちょっとお酒のことを・・・。
 マッコリは必ず韓国で飲むべし。生マッコリは日本で飲むマッコリと味が全く違う。これは誰もがそう言う。何が違うかっていうと、韓国で飲むマッコリの方が断然美味いのだ。もうそれだけしか言えない。日本に帰ったらもうマッコリは絶対に飲まない。マッコリが飲みたくなり、再び韓国に来る日本人が多いのも頷ける。何故あんなにも味が違うのだろう?



 アワビ粥。
 釜山の済州屋で。アワビなんだから、美味いのはあたりまえか・・・。



 チュオタン。
 ドジョウをすりつぶしてスープにしたもの。癖のある味。やみつきになる人がいるのもわかる。私もその後、いろいろな土地のチュオタンを食べることになる。
 この時は物理の先生がご馳走してくれた。




 上の二枚の写真はホンオフェ。
 珍味中の珍味と言われる。エイを壺の中で発酵させたもの。食べたときに強烈なアンモニア臭が口中に広がる。「駅の汚い便所」と表現する人もいるほどだ。子供は絶対に食べられないだろう。
 焼酎をまず一口ぐっと飲み、これを口の中に放り込む。強烈なパンチを口中にくらう。だがその後になんとも言葉では表現できない味が広がるのだ。

 この日は機械科の先生方にご馳走になった。なんとホンオフェ専門店を一日に二件はしごしたのだ。ありえない。

 一軒目はまず上の写真の店に行った。ところが機械科の先生方は「これはダメだ。」「なんだこれは。」「店長を呼べ。」「許さんぞ。」とものすごく文句を言った。ボディービルダーのような体格をした店長は何やらやたら言い訳をしていた。

 怒って店を出た機械科の先生達に私もついていく。しばらく歩いて腹をならした後、なんと再びタクシーに乗り別の店に行ったのだ。
 だが、私にも分かった。二件目の方が断然美味い。アンモニアのパンチがとても上品なのだ。気品がある。品格がある「駅の汚い便所」といったところか。
 いつか食べてみて下さい。

 
 それではまた。しっかり食べて元気にやっていきましょう。お互いに。