2012年11月11日日曜日

10人の行方

「ウェルガまで。」
「え?」
「ウェルガ・アパートまで。」
「ウェルガ?」
「サンチョンに行く道の・・・。」タクシーの運転手は、わずかに微笑む。
「あー、分かりました。お客さんはどこの国の人?」
「日本から来ました。」
「今日は山にでも行くんですか?」
 私がトレッキングシューズを履き、紫色のザックを持っていたためだろう。
「そうです。ウェルガで友人が待っているんです。」
「旅行中ですか?」
 このタクシーの運転手の韓国語は驚くほど聞き取りやすい。自分のためにゆっくりと明確な発音をしてくれているのであろう。
 
 自分と同じくらいの歳だろうか。銀縁の眼鏡の奥には誠実で温かそうな眼がわずかに光っている。
「いえ、この街で働いています。」
「働いている?会社ですか?工場とか?」
「いえ、学校です。」
「え?先生ですか?そうですか。・・・ところで韓国の食事は大丈夫ですか?食べられないものもあるでしょう?」
「いえ、今までは特に食べられないものはありませんね。そしてどれもおいしいです。」
「そうですか。例えばどんなものがおいしんでしょう?焼き肉とか?刺身とか?」
 運転手は時々バックミラーでこちらの表情を確認しながら、ゆっくりと単語一つ一つを大切にしながら語りかけてくる。
「タンですね。」
「タン?」
「アグウタンとか、タスギタンとか、サムゲタンとか、カムジャタンとか。」
「なるほど、日本人にも大丈夫なんですね。」
「あとは、テジクッパやスンデクッパなんかも好きです。」運転手は嬉しそうに微笑む。
 
 
 彼の運転は滑らかで、居間のソファーで語り合っている気になってしまう。ただ相手はずっと自分に背を向けているわけだが。
「どの学校にお勤めですか?」バックミラー越しに語りかけてくる。ちょっと迷ったが、ありのままを答える。
○○○○高校です。そこで日本語を教えています。」
「あそこの生徒は勉強しないでしょう?」
「・・・・。」
 私はこのタクシーに乗って初めて少しだけ気持ちに陰がさした。私は黙ったままでいた。
 運転手は、私が韓国語を聞き取れなかったと思ったのだろう。今度はもう少しゆっくりと発話する。
「お客さん、○○○○高校でしょ。あそこの生徒、勉強しないでしょう?だめでしょう?」そしてバックミラーの中の私の表情を窺っている。
 
 
 韓国人は思っていることをはっきりと言葉にする。そこには日本人のような思いと言葉のずれはない。もちろん日本人はその「ずれ」を意識的に行っている。「配慮」というやつだ。
「そうですね。勉強は熱心にはしませんね。」
「そうでしょう。韓国の専門高校はみんなそうですよ。勉強ができない者が集まっちゃうんですよね。一生懸命勉強をするのは一般高校の生徒だから。いい生徒はみんな一般高校だから。夜遅くまでみんな勉強してるんですよ。」運転手はバックミラー越しに私に微笑む。
「でも心はいいですから。」
 私は自分でそう言って驚いた。悔しいと思っている自分がいた。生徒のことを言われ、悔しいと思っている自分に驚いたのだ。今勤めている学校に愛着を持ち始めている自分がいることに気づき、はっとさせられた。自分もその高校の一員なのだ。生徒の指導は大変な面もあるが、それでもどの生徒も気さくで温かいところがある。
 
 確かに勉強は嫌いな生徒が多い。授業を成立させるのに大変なクラスもある。素行が悪い生徒も少なからずいる。周辺住民からは苦情がよく入る。それでも日々同じ空間で長時間生活を共にしている大切な「仲間」なのだ。初対面の人にあれこれと言われる筋合いはない。それに受験勉強に励んでいる韓国の進学校の生徒には興味などない。今の学校の生徒とどう関わっていくかということだけで、精一杯なのだから。
 
 運転手は私の表情の変化を読み取り、私の中の思いを察知したのだろう。
「それでも、先生達にしてみたら、ハートがいいっていうのが一番でしょうねぇ。やっぱりハートが大切ですからね。」そう言いながら微笑んでいる。プロは客の心の有り様を大切にする。そして「山にはよく行かれるんですか。」と話題を変えてきた。
 
 
 私は生徒達のことを考えていた。
 彼らの中で成績のいいものは一流の工業系の会社に就職する。あるいは大学に推薦される。そしてその他の者は大小様々な工場に勤めることになる。それじゃあ、成績の悪い者は・・・。就職はできない。大学にも行けない。高いお金を払い、得体の知れない専門学校に行くか、アルバイトで食いつなぐか・・・。それが私が知り得るこの学校の現状だ。
 
 韓国は完全なる学歴社会だ。日本の比ではない。進学校における受験勉強は凄まじいものがある。多くの者が夜の10時過ぎまで学校に残って勉強をする。その後塾に行く者もいる。休日には予備校に通う。大学受験で一生が決まると言われている韓国ではそれがあたりまえのようだ。
 
 出身大学によって入ることのできる会社も決まるし、出世の如何も左右されるらしい。つまり学歴で生涯の暮らしが決まってしまうのだ。だから親も必死だ。寺や教会、占い師などはこの時期は受験生の親の対応で多忙になる。
 先日行われた「大学修能試験(日本のセンター試験のようなもの)」ではたくさんの警官が出動し、遅刻したり受験会場を間違えたりした受験生に対応していた。白バイやパトカーで受験生を会場へと送り届けるのだ。
 
 そんな嵐のような受験戦争の蚊帳の外で、我が校の生徒達は生きている。日々、喫煙や服装のことを注意されながら・・・。彼らもやがて社会に出る。そしてその後2年間、軍隊に入る。その後は・・・。その後はどんな人生が待っているんだろう?

 
「そんなことをして何になるっていうんです?できる生徒だけ集めて、就職させる。そんなこと簡単なんですよ。誰だってできる。でも我々の仕事はそうじゃないでしょ。勉強のできない生徒に、技術を身につけさせる。そして自ら生きていく力を身につけさせていく。それが大事じゃないんですか?専門高校の役目は、そういうことでしょ。あれだけ素晴らしい設備が整っているんだ。あそこでたくさんの学生が技術を身につけることができるんだよ。そうでしょ?だいたいそんな大切なことが、今まで私の耳にさえ入ってこないってことが、納得できない。そういうことは時間をかけて議論されなくちゃならない。いろんな意見が交わされなけりゃならない。そう思いませんか?それじゃ入れない生徒はどうするんです?どこに行ったらいいんですか?誰が声をかけるんですか?10人のことは捨てるってことでしょ?おかしいよ。本当におかしい。そう思いませんか?」
 
 私はオウ先生のあまりの迫力に圧倒され、返す言葉もなかった。
 オウ先生は私が住む街よりさらに田舎の街の普通高校で校長をしている。日本に6年ほど滞在した経験を持ち、日本語は堪能である。
 
 オウ先生から久しぶりに電話があり、祭りの会場で一緒に食事をしていた時のことだ。私が2ヶ月程前に知った来年度の新入生募集について話しをしたのだ。
 現在は一クラス30人で9クラス、一学年270人の定員である。来年度から一クラス20人の募集に一挙に減らし、寄宿舎も建設される。近隣の優秀な生徒を集め、少人数教育を行い、一流企業への就職実績をあげていこうという流れからのものである。
 しかし現在定員割れをしているのならともかく、技術をなんとか身につけたいという者達の人気高なのだが・・・。それにしても既に一クラス30人という少人数教育を行っているのに、さらに10人減らすというのには驚かされた。一クラス10人減、それが9クラス。つまりこの街の90人の学生が行き場を失うことになる。
 
 
「来年度からはよくなる。」と皆は言う。確かにそうかもしれない。これで学習意欲のない者や素行の悪い者は、もう今までのようには入学することができなくなるかもしれない。合格者選抜でばっさりと切られるであろう。
 生徒も変わり、学校の雰囲気も変わり、近隣住民のこの学校を見る目も変わるかもしれない。だがここに入れなくなった者はどこに行くのだろう?10人はどこに行ったらいいんだろう?

「我々の仕事って何ですか?その10人のために何かすることじゃないんですか?違いますか?」オウ先生は、私に声を絞り出すように語る。

 オウ先生が校長を務める学校は田舎にある小さな学校である。優秀な生徒は地元を去り、街の学校に行ってしまう。だから定員割れを起こしている。それを三年間掛けて魅力ある学校作りを進め、定員が埋まる努力をしてきたのだ。

 学習意欲が低く、問題をいろいろと抱えている生徒も多い。どこにも行き場のない生徒も入学してくる。それらの生徒達とともに教職員が一つになって、地域と協力し合いながら学校を支えてきたのだ。だからオウ先生の悲痛な叫びにも似た言葉は理解できる。オウ先生の言葉は私の深いところまで到達した。


 だけど・・・、と思う。だけど私はもうその時にはここにはいないのだ。その時には帰国している。だから、今の生徒に全力で関わっていくしかない。

 ただやはり、それでも気になるのは削られる10人の行方だ。
 技術を身につけたいと思っているのにそれもかなわない。すぐそこに最新の機械や工具があるのに触ることも許されないのだ。

 それじゃあ、その10人はどこへ?どこへ行ったらいい?
  
 これから彼らはどんな道を歩いて行くんだろう。


 

2012年11月4日日曜日

渓谷を行く


 陽光が葉に受けとめられる。透明な光は葉を通過すると、色彩をおびる。無限とも思えるほど膨大な数の葉が風に揺れている。色彩の波が瞳孔に押し寄せてくる。
 赤や黄に染まった光をふりまくたくさんの葉。その向こうでエメラルドグリーンの清流が音もなく流れている。

 
 山道を歩いているとリスに出会う。木の実を食べている。全くこちらを警戒していない。手が届くほどの距離から、じっとこちらを眺めながら口を動かしている。
 
 風が吹き、光を蓄えたままの葉が次から次へと舞い降りてくる。青い空が赤や黄の光に染まる。散りゆくたくさんの葉を縫いながら鳥達が飛んでいく。鳥の鳴き声と葉が触れあう音が編み込まれてゆく。色彩の波と音の響きに、瞳孔と鼓膜が洗われる。
 
 
 韓国、チリ山の渓谷を歩く。一日目はカン先生と二人で山の中の小さな村々を訪ねる。二日目はカン先生の友人達と総勢11名で渓流沿いの山道を上流へと歩いて行く。
 みんな夫婦で参加している。誰もが私よりも年上だが、みんな気さくで温かい人たちであった。職業は教員かエンジニア。

 一人は新潟に7年暮らした経験がある人で、日本語が堪能であった。その人は私に言った。「私は韓国の自然が本当に好きなんです。あなたもここにいる間に、いろいろなところへ行ってみて下さい。」
 その人はとても穏やかな風貌をしていたが、体全体から意思の強さが感じられた。メンバーの誰もがその人に一目置いているのを感じた。
 
 
「おまえは体力がないからなぁ。とにかく山道を最低5時間、休みなく歩き続けることできる体を作っておけ。それだけだ。分かったな?」数週間前にカン先生からそう言われていた。
 
 カン先生の言葉は事実だ。あの人の体力は圧倒的だ。そして気持ちも前向きで力が溢れている。だからあの人に何を言われても腹は立たない。自分をはるかに凌駕する者からの言葉というのは、素直に謙虚な気持ちになって聞くことができる。

 私はそれから朝の散歩に加えて夕方にも、アパートの近くの川沿いの道を大股でスピードを出して歩くようになった。そして筋トレもして、少しずつ体を作っておいた。

 
 トレッキングシューズと靴下を脱ぎ、清流に足を浸す。思わず声が出てしまう。それほど冷たい。
 
 枝を離れた葉が次から次へと流れる水の上に落ちてくる。その葉陰が水底に映っている。
 
 斜めからさす陽光が、流れる水の形を鮮明にする。
 
 水は大小様々な岩や石を優しく包み込むように流れていた。
 本当に強い人というのは、この流れる水のような人かもしれない。そんなことをふと思った。