2012年10月20日土曜日

マグマの静寂

 二週間にわたる祭りが終わった。
 街はまたいつもの静けさを取り戻した。あの狂わんばかりの巨大な熱の散りようが嘘のようだ。


 祭りの期間中に「闘牛」も行われた。
 私が住む街から自転車で一時間あまりのところに闘牛場がある。私は闘牛場へはバスもタクシーも使わない。そこまでの道のりが好きだからだ。川に沿って、のんびりと自転車をこぐ。家がまばらで、本当の田舎である。そこに突然、円形状の闘牛場が現れるのである。

 今回は第120回の記念大会で、韓国全土から300頭の牛たちが集まり、体重別に熱戦が繰り広げられた。
 私は最終日に出向いた。この日は各クラスの準決勝から行われていた。

 闘牛場に近づくと、戦いを解説する者の独特の節回しが聞こえてくる。観客達の大歓声も聞こえてくる。
 だが、私はすぐには場内に入らない。闘牛場の周りに繋がれている出番を待つ牛たちのもとに向かう。牛たちは何事もないように、秋の陽光を浴びながら「その時」を待っている。興奮している牛は一頭たりともいない。


 それなのに場内に入ると、彼らは砂を何度も蹴り上げ、頭を下に向けて相手に突進していくのだ。角と角、頭蓋骨と頭蓋骨が激しくぶつかり、筋肉を震わせる。

 相手の角が目元に食い込むと、巧みに体をひねり、相手の真正面に再び立ちはだかる。息が荒くなり、口からは涎が垂れる。上目遣いに相手を睨み、下半身を躍動させる。
 どちらかが逃げるまで戦いは続く。長い戦いになるときもある。お互いの力が拮抗し、砂の上で二頭の体が全く動かなくなることがある。肩から首にかけての盛り上がった筋肉の硬直がこちらにも伝わってくる。背中がびりびりと震えているのも分かる。


 解説者が観客を煽り、何事かを叫ぶ。大勢の観客が手拍子を送り、オウオウオウオウと歓声を上げる。

 牛の目が白くなる。体を振って、相手の横に入ろうとする。目の下に太く鋭い角が入る。そして押し込む。だが相手も体を振りそれに対抗する。角がのど元に入る。相手の顔が少し上がった。そこをもの凄いスピードで下から突き上げる。牛の目に黒目が戻る。まだ相手は逃げない。角を振りながら押し込んでくる。両者の四肢が砂にめり込む。足の周りの砂が生き物のように波打っている。


 決勝戦。勝っても負けてもこれが最後。両者は一度も負けることなくここまで来た。そしてこれが最後。一度負けるか、一度も負けずにそこに立ち続けるか。どちらかが身を引けば、どちらにも安らかな休息が待っている。休めるのだ。
 だがもちろん、そんなことは戦う牛には分かるまい。巨大な肉と肉、骨と骨がぶつかりあう。この本能の炸裂は誰にも止められない。

 もう終わりは来ないのかと思ったその瞬間、角が相手の頬に食い込む。それをかわそうとした時、バランスを崩し、わずかに顔があがる。そこを横から突き上げる。あご下に角が入る。相手は体を浮かし後ずさりした。歓声があがる。牛飼いが近づき、もう一度戦わせようとする。しかし相手は首を振り、踵を返してしまった。角の根元には血が湧き上がってきている。勝負あった。


 両者とも息を荒げ、涎を垂らし、激しく筋肉を震わせている。興奮している牛には、飼い主も容易には近づけない。
 これで休める。もう戦わなくていい。牛は場内をゆっくりと歩きながら、荒ぶる本能を時間をかけて静めていく。やがて牛飼いが近づき、牛の角を避けながら、絶妙なタイミングでロープを鼻の穴に通す。


 会場の外に繋がれた時には、牛はまた静けさの中に戻っている。
 私は牛の巨大な額に手のひらを置く。牛は静かに頭を下げ、目をつぶる。そしてわずかに私の手のひらを押し込んでくる。

 日溜まりの中、巨大な生き物の静寂に包まれながら、私はわずかな眠気に誘われていた。

 牛は目をつぶったまま、微動だにしない。牛はもう動かない。

 私は静かに手のひらを離した。牛の目は閉じられたままだ。

 

2012年10月10日水曜日

熱の流れ

 今年も水と光の祭りが始まった。
 さっそく夜一人でふらりと出かけてみたが、あまりの人の多さに圧倒された。
 私が今住んでいるこの韓国の地方都市は、普段はとても静かなのだが、このときばかりはもの凄い熱気に包まれる。
 有名な祭りで、テレビや新聞などで何度も紹介されていた。韓国全土から膨大な数の観光客が押し寄せてくる。また、たくさんの外国人観光客もやってくる。黒人や白人を多く見かけた。

 私は川沿い近くの小さなアパートに住んでいるため、祭り会場には歩いて行ける。メイン会場は河川敷になるため、川に沿って数キロにわたり屋台が出店し、複数のステージが設けられ、様々な催しがなされている。



 祭りは午前から始まり、夜中の2時まで行われている。
 先日祭り見物をし、夜10時くらいに帰宅したのだが、もの凄い数の人々がまだ祭りの会場に向かって歩いていた。つまり夜の10時から、まだまだ楽しむぞという人達がたくさんいるということだ。
 そして祭りの期間はなんと2週間。韓国人がどれだけパワーを持っているかが分かると思う。2週間もこの熱狂が続くのである。それも毎晩夜中の2時まで。みんな仕事とか学校とかどうなっているのだろうか?大丈夫なのだろうか?

 以前、ある語学番組でこんなことを言っていたのを思い出した。
「日本人は仕事のために家族を犠牲にする。韓国人は家族のために仕事を犠牲にする。」・・・なんだか分かるような気がした。家族や仲間で、今晩はとことん楽しむぞという熱気が伝わってくるのだ。



 ある晩、カン先生に誘われ祭りの会場を巡った。その後、屋台でマッコリを飲みながらいろいろなことを話していた。屋台といっても日本のような小さな屋台ではない。50人くらい入る巨大な屋台が、何軒も出店しているのだ。

 スンデ(豚の腸に豚の肉や血、春雨などを詰めたもの)をつまみに飲み続けていた。ふと気がつくともう夜の11時を過ぎている。そんな時間にも関わらず、子供連れの家族がたくさん川沿いを歩いている。中学生や高校生ぐらいの若者も楽しそうに射撃や輪投げなどをやっている。オイオイ、明日の学校は大丈夫なのか?もう帰らないと・・・。
 だが、そんなことを思っているのは私だけのようだ。

 屋台は深夜でも満員だ。よく食べ、よく飲み、大声で話している。そして笑顔だ。みんなに明日を気にする様子は一切なく、「今」を仲間や家族と大いに楽しむぞっていう熱気が伝わってくる。



 ところで、祭り会場をいろいろ巡っていて気づいたことがある。
 それはまず、食べ物屋が異常に多いことだ。これはまぁ頷ける。この国は「食べる」ということをものすごく大切にしている国だからだ。どんなに仕事が入っていても「食べる」ことは優先される。話の途中でも、「食事の時間だ。」ってことで、出かけることになる。全ては食べた後に始まる。つまり、食べなければ何も始まらないのだ。


 

 次に気づくのが、占い師や姓名判断をする者、それに似顔絵師がやたらと多いことだ。いったい何なんだっていうくらい、いたるところに店を構えている。そしてその一人一人にしっかりと客がついているから驚いてしまう。占い師の方はよく分からないが、似顔絵師達の腕は確かだと思った。どの絵もそっくりなのである。思わず見入ってしまう。
 もし家族で来ていたら、子供の似顔絵を描いてもらいたいところだ。似顔絵を描いてもらうことなんて、なかなかないだろうからなぁ。


 
 今、この街は熱い。そしてこれからもしばらく長い夜が続く。

 川面からの風が冷たくなってきた。この祭りが終わると秋真っ盛りになる。
 
 私の横では3人家族が川面に浮かぶ灯籠を眺めている。父親に抱かれた男の子はもう眠りそうだ。
 男の子の前髪が風に揺れていた。
 
 
 
 

2012年10月2日火曜日

韓国を食べる・その2


今現在、目には見えない圧迫感を感じながら生きている。
このあいだ「独島についての緊急愛国教育」が体育館で行われた。授業をとりやめ全校生徒が集まって「教育」を受けた。
  先週には、「独島教育ビデオ視聴」が各教室で行われた。そして「独島愛作文」の時間も設けられ、いずれも授業時間にそれらが行われた。授業より優先的にこれらの「教育」は行われている。
 はっきり言って居づらい。他の先生方が自分に気を遣ってくれているのがひしひしと伝わってくる。生徒も同様だ。「日本・日本人=悪」という映像を見せられた後に日本語の授業で私に出会うのだから当然だろう。

 以前、韓国史の公開授業を見学に行ったことがある。
 授業内容は「日本の植民地支配」であった。私は教室に足を踏み入れたことを少し後悔した。教室前方にあるモニターでは、様々な映像が映されていく。日本人がこの国の人々にどれほど残虐なことをしていたかという内容だ。たくさんの写真も提示される。
 生徒はその画面を黙ってじっと見つめていた。私の方をちらちらと見る生徒もいる。
 韓国史を教える女性教師は時々映像に対する解説を加えていたが、その映像を突然切ってしまった。私の存在をとても気にしていることが分かった。私がいると授業が進められないということが、その教員の表情からも窺われた。
 他の見学していた先生方も下を向いてどんどん退出していった。私はその場にいることが苦しかった。他の先生方が私に気を遣っているのが、その時にあらためて分かった。
 そのことがあって以来、私は「愛国教育」の場には意識的に足を運ばないようにしている。 

 
 その後、私にとって衝撃的なことが起こった。
 私が最も楽しみにしている場がなくなったのだ。その場とは日本語の放課後授業である。突然の廃止となった。これにはさすがに心が折れそうになった。自分が生徒と共に大切にしてきた部活動が突然活動停止になったようなものだ。
 「受講者数が少ないため。」というのがその理由だ。夏休み前までは「一人でも希望者がいれば放課後授業を行ってほしい。」と言われていたのだが・・・。
 
 この放課後授業では一年間様々な試みをしてきた。そして生徒達は驚くほどのスピードで日本語を習得していった。信頼関係をつくることができた生徒も何人もいる。残念だ。こんなに突然に・・・。
 今自分はここで必要とされていないということを、さすがに鈍感な私も感じることができた。
 それでも放課後授業を一番熱心に受けていたテミョン君とチョンミン君が職員室に来てくれた時は救われた気がした。今二人には時間を作って個人的に日本語を教えている。

 
 まぁいろいろとあるが、仕方ない。
 ところで昨日まで韓国は「秋夕(チュソク)」。日本のお盆のようなものだ。秋夕前日に地元の市場に行ってみたが、大混雑であった。ニュースでも帰省ラッシュで高速道路が大渋滞になっている様子が映し出されていた。街もたくさんの店が休みになっていた。
 
 久しぶりにみんな故郷に帰り、家族でのんびり過ごしているようだ。
 韓国の人々は本当に家族の時間を大切にする。どんなことよりもまず「家族」なのである。この家族意識のあまりの強さに、日本人である私は時として違和感を覚えることもある。だが、韓国人のとても素敵な面であると今では思っている。
 自分は今まで家族というものを本当に大切にしてきただろうかと考えさせられる。
 
 ところで、天気予報の女性も今はちゃんと韓服を着ている。こういうのってやっぱりいいよなぁ。
 
 さて今回も韓国で出会った美味かったものを少しばかり紹介しようと思います。 
 

 
石焼きピビンパム。
 まぁこれは韓国に来なくても、日本でけっこう食べたことがある人は多いと思う。家族でソウルへ行った時に食べた。有名店だったようで、とても美味しかった。だが、客が日本人ばかりでここは日本か?と思うほどであった。私が住んでいる街では「石焼き」は見かけない。しっかり混ぜて食べるべし。これについてくるスープがまた美味しいのだ。



 これは牛すじの煮込み。いや、骨付きカルビの煮込みだったか?キム先生に招待された時のもの。その時日本からの客人2人もいた。あの2人は風のように現れ、そして去って行った。
 肉がとろけるというのはこういうことをいうのだなぁと思った。それほどしっかりと煮込んであった。味付けは洋風で、つかの間、韓国の味から離れることができた。


 
 タスギタン。
 先輩に連れられて時々行く店。この泥のようなスープ。・・・本当に見た目は泥なんです。川で採れるタスギという貝からダシをとったスープである。この中にごはんをぶち込んで食べる。韓国はとにかく鍋料理やスープが美味いんだけど、これは私が好きなスープのベスト3には入ってくる。味は説明できない。体に優しい感じの味なんだけど、どう言葉で表現したらいいだろう?食べてみるしかないです。とりあえず一口どうぞ。そのスプーンを手に、さあどうぞ。
 
 
 
 
 いろんな魚(タラなど)を煮込んだスープ。
 これも先輩達に連れられいった店。私が今住んでいる街は川と海が近いため、とにかく魚料理が多い。刺身ももちろん美味しいんだけど、鍋でグツグツ煮込むとなんとも言えないダシが出て美味なのだ。これをみんなでつついて食べる。「みんなで一つのものを食べる。そうして家族のようにつき合う。」・・・これが韓国なのだ。
 
 
 
 職場には様々なところから食べ物が届けられる。お菓子や餅や果物が多い。保護者からのお礼とともに届けられることがほとんどだ。「おかげさまで~会社に合格することができました。ありがとうございます。」という感じで。そしてそれらが各机に配られる。私の机にも何かしらいつも置かれている。お供え物のように・・・。
 
 
 
 これは何だか分かりますか?職場のボス達に連れられて行った店で。
 左は豚の皮膚です。右は鶏の足先です。コラーゲンたっぷりの料理。これを焼くとなんとも言えない香ばしい香りが広がります。焼酎やビールが最高に合います。ただ韓国人でも苦手な人がいることが分かりました。私は全く大丈夫でしたが・・・。だけど鶏の足の方はものすごくリアルで食感も独特でした。爪はきちんと取ってあったけど・・・。
 
 
 
 アグウタン。
 私が最も好きなスープである。アンコウの煮込みスープである。スープの味もアンコウの身も絶妙である。グツグツと煮えたぎった鍋が運ばれてくる。これにビールを頼む。私が住む街にも美味しい店があって、先輩達に何度か連れて行ってもらったんだけど、私は釜山にあるこの店のアグウタンの方がレベルが高いと思っている。冬の夜、釜山駅周辺を長時間歩き回ってやっと見つけた店だ。確実に観光客は入らない。絶対にガイドブックには載らない。店の横を通っても、必ず通り過ぎる。それほど目立たない店なのだ。いつも地元の人しか来ていない。そして地元の人は美味い店を知っている。ちょっと風変わりなアジュンマがいる。観光客が来ないっていうのは本当に落ち着く。体の芯にじわーっと染みわたる鍋料理です。
 
 ちょっと今回は料理の臨場感を出すために巨大な写真にしてみました。お腹空きましたか?
 しっかり食べて、しっかり動いて、しっかり寝ましょう。いろいろあるけど何とか乗り越えていきましょう。お互いに。
 
秋ですね。稲が光っていました。黄金色の泉のようでした。