2011年10月26日水曜日

カン・サングウという男 ①

 一週間の勤務を終え、今日は土曜日が休みの週なのでのんびりしようと思い、部屋で韓国の古い映画を観ていた。言葉はよく分からないが、ストーリーは分かる。舞台は高等学校。恋あり、ケンカありの学園ものであった。
 映画がクライマックスにさしかかった頃、携帯が鳴る。カン先生からだ。「今すぐ来い。」「今ですか?」「そうだ。待っているぞ。」そして電話はきれる。カン先生はいつもどんな用事なのかは言わない。そして私も聞かないことにしている。
 慌てて着替え学校に行くとすぐに車に乗せられた。
 一時間ほどでサンチョンという小さな町に着いた。カン先生の生まれ故郷らしい。カン先生に導かれるまま古いビルの地下にある会場に入る。中ではパーティーが開かれている。「俺の友人の母親の誕生会だ。好きなものを食べろ。」という。カン先生は友人たちに私を紹介する。「日本人だ。」とカン先生が言うとみんな驚いた顔をする。私が挨拶をするとみんなお酒や食べ物を勧めてくれる。入れ替わり立ち代りいろいろな人が挨拶をしたり歌を歌ったりしてお祝いをする。


 しばらくすると突然カン先生は会場係の人から入れ物をもらい食べ物を詰めだす。「あそこのマッコリ二本持って来い。」と私に言う。私はなんだかとても恥ずかしくてマッコリに手をつけられずにいると「何してるんだ?いいから早く持って来い。」と睨まれてしまう。近くにいる来客者たちは苦笑いをしながらこちらを見ている。食べ物を詰め込んでいるカン先生のところへマッコリ二本を手にして戻る。「帰るぞ。」「え?帰るんですか?」「ああ。」

 
 また車に乗せられる。川沿いを走り、橋の下に車をとめる。「ここで休憩する。」カン先生はタバコに火をつけ、向こう岸の山を見つめる。
 タバコを吸い終わると「今から山に入る。松茸を探そう。」と言い、背広を脱ぎ服を着替えはじめる。私はジーンズにパーカー。ただトレッキングシューズを履いてきていたので良かった。

 
 枝を掻き分けながら道なき道を進む。カン先生は獣のようにものすごいスピードで進んでいく。私は見失うまいと思い必死について行く。途中山肌が地滑りをおこしているところに出てそれ以上進めなくなった。「今日はダメだ。俺だけ知っている秘密の場所があるんだが。」カン先生が残念そうに言う。私は息が切れ、体中から汗が噴き出しふらふらになっていた。「戻るぞ。」そう言うとカン先生はまた山を駆け降りていく。

 
 全く追いつけない。枝で腕を何箇所も擦りむいた。隆起した根に足をとられ何度も転びそうになる。枝を掴み滑り落ちないように下っていく。
 しばらくすると渓流に出た。カン先生は靴や靴下を脱ぎ足を水に浸しながらタバコを吸っている。私は流れる清水で顔や手を洗い、カン先生と同じように足を水に浸した。水はとても冷たく本当に気持ちいい。滴り落ちていた汗もあっという間に乾いてしまう。

 
 畳8畳ほどもありそうな巨大な平たい岩の上でカン先生はザックを開ける。先ほどパーティー会場から失敬してきたマッコリとつまみを出す。流れる水の音を聞きながら二人で飲み、食べる。夏は水量が増えこの渓流は自然のプールになるそうだ。

 
 「カン先生、さっき先生の友人の母親の誕生会に行ったけど、実は今日は自分の誕生日でもあるんです。」「何?本当か?」「はい。ありがとうございます。こんな素敵な場所につれてきていただいて。」カン先生は私をしばらく見つめ「そうか、誕生日なのか。帰るぞ。」と言う。「え?帰るんですか?」「ああ。」

 また車に乗せられ今度はスーパーで降りる。カン先生は肉、魚、野菜、ビール、マッコリなどを買い込んでいく。肉と魚を買うときはじっくりと見て新鮮なものを選んでいた。

 「俺の山小屋でこれを食べるぞ。」「え?山小屋?」「ああ。」「先生、山小屋を持っているんですか?」「ああ。あの山にある。」カン先生が指さす方向を見ると、夕日に染まる山がそこにあった。

2011年10月20日木曜日

  「タクシーで行ったほうがいい。」とキム先生から言われていたが、秋の空がとてもきれいなので、せっかくだから自転車で行ってみることにした。闘牛場がある場所を地図で何度か確認したが、途中道に迷いわからなくなってしまった。
 
 旅をしていたときも、東京で暮らしていたときもいつもそうだ。よく道に迷う。道に迷い目的地に着かず、偶然行き着いた場所でぼんやり過ごしたりすることがしばしばあった。

 幼いころ、母方の祖父母の町の祭りで、一緒に遊びに行った従兄弟たちとはぐれてしまったことがあった。従兄弟たちを必死に探したが出会うことはできなかった。散々歩き回った後、黄昏時、橋の上で途方に暮れ一人泣いていた。行き交う人はちょっとこちらに視線を向けるが、そのまま通りすぎていく。私はただ泣き続けた。
 突然知らないおじさんに声を掛けられ手を握られた。そして夕焼けに染まる街をおじさんに手を引かれながら歩き続けた。今思うと不思議なのだが、幼かった私はそのおじさんのことを信頼しきっていた。おじさんは何も言わなかった。私は手を引かれるまま歩き続けた。気がつくと祖父母の家の前にいた。そしておじさんの姿はなかった。あのおじさんは誰だったんだろう。


 「できれば山には入らないでほしい。道に迷ったら大変なことになる。山賊の被害も最近よく聞くから行くのならガイドをつけて・・・。」私がお世話になっていた宿の女主人に何度も言われたが、結局一人で山に入ることにした。寝袋などの最小限の荷物をザックに詰め込み、あとの荷物は女主人に全て預けた。彼女は泣きそうな顔をして私を見送ってくれた。10日間の許可書を取りベースキャンプを目指した。
  だが、やはり道に迷ってしまった。さっきまで青空が広がっていたのに、急に薄暗くなり雪も降り出す。道が幾筋にも分かれていて、そこを自分の直感だけで歩み続けたがさすがに怖くなってきた。引き返そうと思ったが、今自分がたどって来た道さえ分からなくなっていた。
  ネパールの山をトレッキングするというのにスゥエットとセーター、 紐を巻きつけ滑り止めにしたスニーカーという 、いい加減な装備でここまで来た。山をあまくみていた。体がものすごい勢いで冷えていく。ザックにはチーズのかけらしかない。
  「これを遭難っていうのかな。」と独り言をつぶやきながらも、頭では「どうする?どうしたらいい?」と自問自答を繰り返す。これ以上動くと危険だと思い、岩の上に座り呆然としていた。
  いつしか雪はやみ、薄暗くなっていた空が明るさを取り戻し始めていた。その時、突然目の前に少年が現れた。何の前触れもなく、本当に突然に。神様かと思ってしばらく見つめてしまった。そしてその小さな神様はにっこり微笑んで道を教えてくれた。
  夜になった。私は教えられた道を信じて歩き続けた。山小屋の灯りがずっと向こうに見えたときは、ホッとして全身から力がぬけた。あれから20年以上たった。小さな神様は今でも写真の中で微笑んでいる。


 闘牛場を目指したはずなのだが、大きな湖に出た。しばらくその湖を見つめながらぼんやりとしていた。波紋の下に小魚の群れが見える。
  会場に着いたときにはもう巨大な体躯の牛がお互いの頭を着けぐいぐいと押し合っていた。歓声があがる。戦いの様子を解説者がマイクで実況中継する。牛たちの荒い息遣いが伝わってくる。前脚で砂を掻き揚げる。角と角がぶつかり、鈍い音がする。
 いくつかの試合を見た後、会場の外に繋がれた牛たちのところに行く。戦いを終えた牛たちはみな穏やかだ。頭や鼻筋を撫でてやる。牛は気持ち良さそうに目をつぶる。牛は何も言わない。だからこちらの心も落ち着く。大木に触れているときと同じような気持ちになる。大きな生き物の時間はゆったりと流れる。私はしばらく牛の額に手を置いていた。



2011年10月13日木曜日

始まり

 今から2ヶ月ほど前、全ては始まった。  

 まず講堂のようなところに全職員まって職員会議。その時自分紹介をされ、マイクをされた。50くらいの先生国語挨拶した。途中になってしまった。完全に言うべきことを忘れてしまった。こういう時は笑うしかない。どの先生方笑顔でこちらの次の言葉ってくれた。この学校かい囲気わってきた。

教員だけの挨拶のはずが、急遽全校生徒体育館めることになり、そこで挨拶をすることになった。体育館ると生徒教員合わせて900人以上がこちらを注目している。 校長先生紹介すると何故生徒からウォイェオウオウオウ歓声があがった。いったい校長先生はどんなふうに自分のことを紹介してくれたのだろう。

「こんにちは、はじめまして。みなさんにえてうれしくっています。は~ケンといいます。日本からました。まだ国語はうまくせませんが、みなさんとしく日本語したいとっています。がんばりますのでよろしくおいします。」と国語挨拶した。よくわからないが生徒はまたウォギャオをあげ拍手をくれた。・・・工業高校生徒はやっぱりいい。


その運動でこの夏活躍した生徒名指しされそのたされ、そしてみんなで盛大に拍手をするということがされた。肩幅くがっちりしていて眼光校長先生がマイクをちロックンロのようにシャウトし独特節回しの言葉会場げていく。体育館はまるでコンサ会場のようにがあった。こんなにがりのある全校集めてである。

だが最後校長先生がいくらびかけてもたない生徒がいる。「~をした3人組立ちなさい!」ということを校長先生ぶ。それでもとうとしない。何故生徒たちがまたオイオイオイオイとがっている。格闘家のような体格の校長先生がふたたびシャウトする。しばらくして3人組つ。生徒たちはまたウォヘイヘイとをあげてがる。たぶんこの3人組夏休みにさをしたのだろうとった。何故なら3人組はひどくうなだれていたからだ。ところがキム先生によると「れていた3協力してけた。」とのこと。・・・ 工業高校生徒はやっぱりいい。


 その後頭髪検査夏休けだからだろうめている生徒い。たくさんの生徒舞台たされていく。日本じだ。は「どこもじなんだなぁ~」とうれしくなりニヤニヤしながら眺めていると教務部長先生があまりこの場面せたくなかったようで、こちらをなさそうにつめながら「 職員室ってください。」とわれてしまった。・・・こういうところを見せたくないのもどこもじである

 そしてこの日から全てが始まったのだ。

2011年10月5日水曜日

祭り

 10月1日より祭りが続いている。水と光の祭りだ。

 夜、川沿いは灯りに包まれる。川に燈が浮かび幻想的な世界が生まれる。たくさんの屋台が出て多くの人で賑わっている。

 工業の先生と生徒指導部長の先生に誘われ、強面の男3人で川沿いを歩く。会話は韓国語と英語のミックスで意思伝達率は60パーセントといったところだ。焼肉とクッパを食べた後、川に浮かんだ仮設レストランまで歩き、干しイカをつまみに生ビールを飲む。
 この工業のカン先生は何かと自分を誘ってくれる。その日も放課後授業を終えて帰宅の準備をしていると突然携帯が鳴ったのだ。韓国語だけでしゃべってくるので内容が全く分からなかったが、ちょうど通りがかった生徒部長のイ先生が代わりに電話に出てくれて車に乗せられたというわけだ。カン先生は「ハートが通じ合っているから、言葉など関係ない。」というようなことを英語でいつも言ってくる。カン先生といると彼の心の広さと温かさが静かに伝わってくる。
 「酒は何が好きなんだ?」と生徒部長のイ先生が聞いてくるので、「ビールです。その次がマッコリ、次が焼酎。」というと、カン先生は静かに笑いながら「一番うまいのは雪山で飲む酒なんだよ。冬になったら行こうな。」と言う。


 向こうの席で黒人が川の流れを見つめながら酒を飲んでいる。この街に来てまだ日本人には一人も出会っていないが、他国の人はちらほらと見かける。市場に出かけるとアジア系の人々が買い物をしていたりする。ジャガイモやサツマイモ、果物なんかを大量に買っているから、たぶんみんなで自炊しているんだろう。きっと稼いだ金は母国の家族に贈り、自分たちは質素な生活をしているんだろう。みんな異国の地で頑張っているのだ。


 川面からの風はもう冷たく感じる。
 2人の先生とそこで別れ、1人川沿いをゆっくり歩く。
 祭りの夜、行き交う人の表情はみな幸せそうに見える。
 与謝野晶子の歌「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」をふと思い出す。そういえば生徒の作った短歌、素敵な歌が多かったな。

川沿いを歩くと気持ちが落ち着く。川の流れが自分の中に入ってくるようだ。