2012年3月26日月曜日

「ひらがな」という名の迷宮

 イ先生と話し合い、この3月は1ヶ月かけて平仮名をマスターさせることにした。といっても日本語の授業は1単位減となったため週2時間。2年生9クラスに教えることとなった。
 平仮名を読めない生徒が昨年は多く、授業についてこられないものが続出していたために、せめて平仮名だけはなんとかしようということになったのだ。

 今年の2年生の雰囲気は去年とはかなり違う。真面目な生徒が多いように思う。もちろんいい加減な生徒、やる気の無い生徒もいるが、そういう生徒が少ない。
 そして教室にタバコの臭いがほとんどしない。昨年は違った。「おまえ今吸ってきただろう?」と思わず言ってしまうくらい、タバコの臭いがよくした。授業をしていて気分が悪くなるくらい臭う時もあった。酒の臭いがした時もあった。それが今年はほとんどしない。
 一度だけ、ポケットにタバコとライターを入れていた生徒がいて、それを見つけたイ先生が没収したことはあった。他にも相当数タバコを持っている者はいると思うのだが、ほとんど臭いがしないのだ。うまく臭いを消しているか、本当に吸っていないかだ。
 昨年はタバコの指導を全く受けなかったクラスは1クラスのみ。残りの8クラスは全てたくさんの違反者が出た。クラスの大半が吸っていたというようなクラスもあった。まあこのクラスは退学者、休学者が何人もいて、校外へ逃亡する者も多かったが・・・。
 タバコの吸い殻のためにトイレが詰まってしまうこともあった。全く違反者が出なかったクラスは校長先生から全員チャージャーメンを奢ってもらっていた。私も生徒部長から誘われご馳走になり、そのことをその店で知った。


 一時間の授業で10文字ずつ教える。

 まず私が黒板に大きく一字ずつ見本を書く。そして発話する。その後、生徒は配布されたプリントに一文字につき40回ずつ練習する。一段が終わったところで発話練習。例えば「あいうえお、いうえおあ、うえおあい・・・」というように一文字ずつゆっくりと行う。その後、生徒を指名し、その段の五文字を板書させる。
 黒板に見本を記すとき、まずチョークを半分に折る。その横の面を使い太い線で板書する。プリントに見本は記されているのだが、みんな黒板に注目する。そして筆記練習をする時も何度も黒板に記された私の文字を見て確認するのだ。
 発話練習においてもそうである。私が発話したとおりに生徒達は大声で発話する。だから訛ったり、どもったりするわけにはいかない。あたりまえのことだが、責任重大である。

 自分の人生で、まさか平仮名を教える時が来ようとは思ってもみなかった。
 イ先生と机間巡視し、一人一人チェックしアドバイスをおくる。根気のいる作業である。       


 困ったことがおこる。それは私自身が生徒の平仮名をじっと眺めていると不思議な感覚に襲われるのだ。

 例えば「け」という文字がある。これをじっと眺めていると「これって『け』で間違いないよなぁ・・・。あれ、違ったっけな。いや、『け』でいい。間違いない。俺は何を言ってるんだ。大丈夫。これは『け』だよ。『け』でいいんだよ。でもこれなんで『け』なんだろう。」・・・というような感覚に陥ってしまうのである。

 「ぬ」が出てきたときもそうだ。「待てよ、ちょっと待った。今俺『ぬ』を『nu』と発話したよな。生徒も大声で『nu!』って発話しているけど。大丈夫だよな。『ぬ』って『nu』であってるよな。待てよ。あれ、間違えたか?いや、待て。大丈夫だよ。何言っているんだよ。『ぬ』は『nu』って読むんだよ。おいおい。どうしちまったんだよ。」・・・なんてことを心の中でつぶやいてしまうのだ。

 そして「れ」を教えているときに、私は黒板に記した自分の字を見入ってしまった。「なんだこの形は?なんなんだこの最後の魅惑的なカーブは?これは『れ』だよな?『re』って読むんだよな。何それ?何でこれが『re』なんだよ!それに何なんだよ、この形。最後どこへ行こうとしてるんだよ?他の平仮名は、みんな最後はびしっと地に足を着けてるじゃないか。なのに『れ』よ、おまえはどこに行こうとしているんだよ?おいおいおい。まいったなぁ。おい『れ』!おまえ笑えるよ。なんだかなぁ~。ホント笑えるよ。」・・・という具合に。

 そして次の「ろ」の発話練習の時。私はとうとうやらかしてしまった。私は黒板の「ろ」の字を指さしながら生徒に向かって「れ、れ、れ、れ」と発話してしまっていたのだ。イ先生の目が見開かれている。ん?イ先生どうしたの?何か問題でも?生徒達が「あれ?この『ろ』の字も『re』と発音するのか、あれ?」というように首を傾げながら、「れ、れ、れ、れ」と発話しだした。私は自分が指さしている黒板の文字を見る。さっきの「れ」は消され、「ろ」になっている。うわっ!私は間違いに気づき、生徒に謝って発話し直した。「ろ、ろ、ろ、ろ!ろだよ!はいっ!ろっ!」やけくそ気味に大声で。イ先生も生徒達も苦笑いしている。やばい。いくらなんでも平仮名を間違えるとは・・・。

 くそー、「れ」のせいだ。全部「れ」が悪いんだ。それにしても「れ」は「わ」に似ているなぁ~。「ね」にも似ている。なんだよ、おまえら何なんだよ。
 「る」と「ろ」もやばいぞ。油断できんぞ~。
 「ぬ」と「め」も間違えるかもしれない。いや、間違えるわけないじゃないか。俺は日本人を40年以上やっているんだぞ。いや、わからん。なめちゃいかん。侮ってはならんぞ。集中せよ。生徒は俺を信じている。俺がミスを犯せば、そのとおりに覚えてしまう。
 「あ」は大丈夫なんだけど・・・「む」はやばいぞ。書いているうちに意識が飛んでしまうぞ。
 待てよ・・・。「く」は「ku」だよな。いいんだよな。じゃあ「へ」は?あれ?こっちが・・・どっち?そっちが、あっちだろう?


 ・・・というように平仮名というのは見れば見るほど抜けられなくなるのだ。
 これにカタカナが来て、漢字が来る。ローマ字まで混ざってくる。

 日本語・・・深いぞ。深すぎるぞ。
 私の平仮名との格闘はこれからしばらく続く。相手にとって不足は無い。

 日本語という土俵は広大な宇宙のようだ。
 その土俵の上で、平仮名が横綱のように悠々と四股を踏んでいる。

2012年3月19日月曜日

上海

 3月から新学期が始まっている。日本より1ヶ月ほど早い。
 今年度は日本語の教師が一人減り、単位数も減った。キム先生がいなくなったため、イ先生と二人で2年生9クラスを教えることになった。
 この間釜山日本語教師会に足を運び様々な機関で日本語を教えている方々との交流を持った。そこでも話題になったのが日本語学習者の減少である。大学などでは受験者数が大幅に落ち込んでおり、定員割れをおこしているらしい。「東日本大震災の影響がやはり大きいようだ・・・。」というのがそこに集まっているメンバーの共通の見解であった。
 そのことを学校に戻り、イ先生に伝えると「地震や津波や原発のことは関係ありません。ここ何年かの日本の政治家の発言が、韓国人のあいだでは問題になっています。もう日本語を勉強するのはやめようというムードがでてきています。」とおっしゃった。
 その「政治家の発言」というのが誰のどんな内容のものなのかは私にはわからない。だが、過去の歴史に対する政治家の個人的な見解が、現場を大きく揺さぶることもあるのだと少し恐ろしさを感じた。


 私はかつて上海の大きな書店でチベットのポタラ宮殿の写真集を買おうとした時、中国人の若い店員とトラブルになったことがある。
 私が日本人だと分かると、おまえには売らないと言われ、大声で殺人者呼ばわりされた。何事だという感じで、たくさんの客が私たちを取り囲んだ。
 ここは上海でこんな大きな書店なのに、なんでこんなことになるのだろうと私はその時思った。いったいこの店員の態度は何なのだ。今だったら何事もなかったようにその場を離れることができると思うのだが、その時の私はまだ20代前半で血気盛んだった。
 「金は払う。俺は客だ。その本を買いたいんだ。」そう言うとその中国人の青年は「日本人に売る本はない。」と言い切った。私が「じゃあマネージャーを呼んでくれ。」というと、その店員は突然カウンターから出てきて私の腰のあたりを蹴ってきたのだ。
 私は驚いた。本が買いたいと思い、本屋に行き、中国人に囲まれ店員に蹴られている自分・・・。
 確かに中国の旅ではいろいろなトラブルに巻き込まれたが、温かい人たちにたくさん出会った。嫌な思いもずいぶんとしたが、たくさんの人に助けられもした。長い旅の最後の地でこんなことになるとは思わなかった。
 私はケンカなどするタイプの人間ではないのだが、その時は違っていた。私は思い切り蹴り返していた。なるようになれと思った。日本人とか中国人とか関係ない。人間としてその若者を許せないと思ったからだ。日本人を憎むのは自由だ。だが、店に本を買いに来た人間を日本人だからと言って蹴るとはどういうことだ。
 でも不思議と気持ちは落ち着いていた。何故ならその若者の表情が尋常ではなかったからだ。目が血走り、口から唾を飛ばしながら大声で何かを叫びながらつかみかかってくる。相手の異常とも思える興奮が逆に私を冷静にさせた。私もつかみかかって真っ直ぐ相手の目を見つめた。一歩も引くつもりは無かった。

 だがすぐに我々は警備員に取り押さえられた。暴れまくっている店員には三人くらいの警備員がつき両脇をかかえられどこかへ連れて行かれた。連れて行かれる時も何かを大声で叫んでいた。私には一人の警備員がつき書店の裏口から外へ誘導された。表玄関付近には野次馬たちがいてそこを通るのは危険と判断したのだと思う。

 私は上海の裏道を一人歩きながら、その時初めて体が震えてきた。あの店員はナイフを持っていたらきっと迷わず私を刺したと思う。それほど尋常ではない雰囲気を醸し出していた。何か薬物でもやっているような異常さがあった。私が日本人と分かった瞬間に狂気のスイッチが入ったようだった。
 日本人が過去に行った行為に対しての復讐心・・・。あるいは彼が今まで日本人から何かひどい仕打ちを受けたのか・・・。いずれにしろ、それが初対面の自分という個人に向けられることへの恐怖・・・。
 「おまえを許さない。」ならまだ分かる。だが「おまえが日本人だから許さない。」というのは本当に恐ろしい。
 「あなたには何の恨みもない。そもそもあなたが誰で、どんな人かもわからないのだから・・・。だけど死んでもらうよ。何故って?そりゃあ分かるだろう?あなたは~人じゃないか。」・・・こんな悲劇は今でも世界中の至る所で民族紛争として残っている。
 人間を個人として捉えることのできなくなった異常な世界・・・。


 私はよせばいいのに次の日も同じ書店に出かけた。自分でも分からないのだが、勝手に足が向いたように記憶している。あの頃はいつもわざわざトラブルに向かって歩いていた。20代というのは誰もがきっとそうなのだろうと思う。
 昨日と同じ時間帯に訪れたのだが、その日は何故か書店の客はとても少なかった。
 真っ直ぐにあの写真集のコーナーに向かった。だが、カウンターを見るとあの店員はいなかった。代わりに若い女性の店員がいる。昨日買いたいと思った写真集は何故か戸棚にはなかった。
 そのことを若い女性店員に告げると、彼女は店の奥に入っていった。そして二人の恰幅のいい中年の男性二人が現れた。スーツ姿の二人は私に丁重に挨拶をして店の奥にある本の倉庫の中に私を連れて行った。
 その時の私はかなり用心していた。ドアや窓、階段の位置を確認しながら二人の後について歩いた。
 こんな倉庫の中に連れてきていったい何をしようというのか。昨日の店員がそこに待っているのか。「日本人に売る本などない。」と言って、袋だたきにするつもりなのか・・・。
 だが、違った。二人の男はチベットのポタラ宮殿の写真集を私に手渡した。そして定価よりも安く売ってくれた。それから昨日のことを謝ってきた。昨日の店員のことを聞くと、もういないとのことだった。「あの店員には我々も困っていた。」というようなことを言う。昨日の件で首になったようなのだ。

 あの若い中国人は全力で私に向かってきた。すさまじい怒りと興奮を感じた。中国を旅するうえで、私は日本人としての何か大切な意識が欠如していたように思う。そのことをあの若者が伝えてくれたのかも知れない。なんだか少し寂しい気がした。
 二人のスーツの男が媚びを売ったような目つきで私を見つめてくる。何事も丸く収めようとする商売人の目だ。顔は微笑んでいるが、目は決して笑ってはいなかった。
 「おい、日本人、いいからもう帰ってくれ。昨日のことは内緒だぞ。店の評判につながるからな。日本人はいい客なんだ。これからもしっかり稼がせてもらうつもりだ。もめ事はごめんだ。だからおまえは早く帰ってくれ。」そんな声が聞こえてくるようだった。


 あれから20年以上の時がたった。上海はずいぶんと変わったと聞く。
 今もしあの時の店員に出会ったらどうなるだろう。たぶん彼も40代半ばくらいになっていると思う。今でも目を血走らせていきなりつかみかかってくるだろうか・・・、それとも酒でも飲みながら二人で何か話ができるだろうか・・・。

 私は本を小脇に抱え、薄暗くなった街を小走りに宿へと戻った。

 路地裏では、いたるところで様々な国の男達が集まり何事かを話している。そして行き過ぎる私を暗い目でじっと見つめてくる。
 一人で立ち尽くしている女達が私に声をかけて、手をのばしてくる。

 私は小走りに路地裏を抜ける。上海の夜が始まる。上海は眠らない。

2012年3月6日火曜日

後ろ姿

 休みの日には必ず一度は外に出ることにしている。アパートから学校まで極端に近いため運動不足に陥ってしまうからだ。
 8時半から勤務が始まるのだが、私は毎朝820分まであるドキュメンタリー番組を見終わった後アパートを出る。この番組は様々な家族の生き様を一週間単位で放送している。毎朝毎朝感動する。そしていろいろな思いに包まれながら学校へと向かっている。それでも間に合う。8時半前には自分の職員室の机に着いている。本当に近い。学校に住んでいるようなものだ。だから毎朝少し川沿いを歩き、休みの日にも外に出ることにしている。そうでないとあまりにも体が鈍ってしまう。

 私と同じように海外で日本語教師として頑張っている仲間達は、ジムなどに行ったりテニスなどをして体を鍛えているようだ。みんなとてもバイタリティーがあり行動力がある。だが、私はとにかく人と関わるのが苦手なので、ジムなどには足が向かない。隣で誰かが体を鍛えていると思うだけで気が滅入ってしまう。
 今は川沿いの草むらの中に獣道のようなものがあることを発見し、そこを一人で歩いている。その道を通る人はほとんどいないようで、誰ともすれ違うことが無く心地良い。草をかき分けながら類人猿のように歩いている。


 その日は城に向かって駅前通りを自転車でのんびりと走っていた。あれっと思った。20メートルくらい前方に一人の人が立っている。その人の横を通るとき、誰もが笑顔になっているのだ。ただその笑顔が引きつっているようにも見える。そして誰もが避けるように側を通り過ぎる。
 私はその人に10メートルくらいまで近づき自転車を止め、ザックから地図を出し、それを見るふりをしながらその人を観察することにした。
 私は目がいい。両目とも視力は1.5だ。この距離でも充分観察ができる。
 白い薄い生地のスカートが風に翻っている。すらりと伸びた足にはかなり高さのある白いハイヒール。手首にはたくさんのブレスレット。いくつかの指輪も光っている。小さな白いショルダーバッグが肩に掛かっている。少し色落ちしたジージャンを羽織っており、そこにはたくさんのバッジが付けられている。この街では見かけることがないファッションである。
 そして何よりも私を驚かしたのはその人の髪である。・・・黄、赤、青、緑に染め分けられているのだ。


 韓国のこの田舎の街でこんな人に出会えるとは・・・。私はうれしくなった。写真に収めたい衝動に駆られたが思い直し、記憶のフイルムに焼き付けることにした。
 私は旅先で、「これはしっかり見ておかなければ。」と思ったときには写真を撮らないことにしている。写真を撮ってしまうと安心してしまい、「見る」力が半減してしまうからだ。だからどんな感動するような風景に出会っても、すぐにはカメラを出さない。もう充分だと思った頃にパチリといく。
 それにしてもその人のオーラはものすごい。周りに居る人の全ての心をつかんでしまっている。

 以前私は高校の文化祭か何かの時、内装で使って余った緑色のスプレーを髪にかけて帰宅したことがある。もちろん水性で、シャンプーをすればすぐとれるものだ。完全な緑色になったわけでなく、まぁうっすらとした緑色である。悪ふざけのつもりで友人にかけてもらったのだ。そして私は自分の髪が緑色になっているのをすっかり忘れて地下鉄や電車に乗って帰った。だが周りの乗客の空気がいつもと違うなと思い、あー髪がそう言えば緑色だったと気がついた。そんな経験がある。

 その人の髪は圧倒的であった。黄、赤、青、緑の四色に染め分けられており、独特の雰囲気を醸し出していた。だが、その配色はけっしてケバケバしい印象を与えはしなかった。絶妙なバランスが保たれていて、見る者を惹きつけてしまうのだ。髪は肩に掛かっており風に揺れている。
 その時の私は、完全にその人に気持ちをもっていかれてしまっていた。私だけではない。その道を通り過ぎる全ての人々がその人を見入っていた。その場に立ち止まり、口を開けて見ている人もいる。それほどその人はこの街の風物から浮いていて、異質な存在であった。

 その人は信号待ちをしている。どうやら大通りを渡り、駅の方へ行こうとしているらしい。
 私はその人の斜め左後ろ56メートル程のところまで近づいた。私の位置からはその人の表情は伺うことができなかった。私はその人の顔を見てみたいという欲求が生まれたが、それにはその人の正面にまわらなければならない。
 私は相変わらず自転車のハンドルに地図を広げ、その人と地図を交互に見つめていた。たぶん他の人が私の行動を見たら、「あいつ挙動不審だなぁ。」と思うに違いない。

 もうすぐ信号が青に変わる。そう思った瞬間、私の指が勝手に動いた。自転車のベルを鳴らしてしまったのだ。私は自分の咄嗟の行動に驚いた。チリリンと乾いた音が鳴った。その人のすぐ後ろにいる何人かがこちらを振り向いた。私は慌てて地図に目を落とす。だが上目遣いにその人を窺うことは忘れない。もう完全に不審者である。
 だが、その人は微動だにしない。白いハイヒールはきちんと揃えられ、胸を張り姿勢がいい。後ろ姿がとても美しい。四色の髪が風に静かに揺れている。白いスカートもひらひらと揺れている。


 やがて信号が青になる。その人は車を確認するために首を振った。右を見て、左を見た。スローモーションのようにゆっくりとその人の顔がこちらに向けられる。私は思わず「あっ!」と声をあげてしまった。
 その人の唇には真っ赤な口紅が塗られていた。その口紅が濡れているように光っている。そしてその唇の周りには濃く長いひげが生えていたのだ。白く細い首には、のど仏が鋭く突き出ている。男だった。それも私よりも明らかに年上だ。目尻には深い皺がある。

 正直に記す。私はその時、深い感動に包まれていた。
 向こうから横断歩道を渡ってくる人たちは、その人を見て苦笑いをしている。嘲るように指を指している人もいる。だが、その人は真っ直ぐ駅に向かって歩いて行く。
 みんなから笑われても、白い目で見られても、避けられても、胸を張って歩くその男の後ろ姿を見入ってしまった。
 「おじさん、尊敬するよ。」・・・私はその男の背中に向かって、本当に声に出して言ってしまっていた。

 一人の人間の熱くて激しい生き様を見たように思った。

 その人は振り返ることなど無く、モデルのように横断歩道を渡っていった。
 ハイヒールの硬い音を残しながら・・・。