2012年12月23日日曜日

美味いぞ。だけど・・・

 韓国大統領選挙が行われ、与党セヌリ党のパククネ氏が勝利した。
 野党民主統合党のムンジェイン氏との事実上の一騎打ちで、得票率51.6パーセント対48.0パーセントという大接戦であった。
 
 韓国ではかなり以前からこの大統領選は盛り上がっており、テレビでも連日両候補の動向が報道されていた。投票率75.8パーセント。国民投票である。つまり次の自国のリーダーに自分の一票を投じることができるわけだ。
 日本のように国民が離れたところでの「政治的駆け引き」や「数の論理」でリーダーが決められるわけではない。
 
 両候補は精力的に選挙運動を行っていた。とにかく街に出て庶民の声を聞き、国民が今何を本当に求めているのかを探ろうとしている姿勢がうかがえた。テレビ討論も何度も行われ、政策を軸に議論を戦わせていた。その一言一言が国民との「約束」になる。両候補の凄味が画面からも伝わってきた。
 
 
 一方日本の衆議院選挙、日本にいなかったのでどれだけの盛り上がりを見せたのかはわからないが、投票率59.32パーセント、過去最低だったという記事を目にした。そして安倍政権が誕生するらしい。また自民党の政治が復活することになった。国民がそれを選択した。
 韓国では安倍政権をかなり警戒している。さてこれからの日韓関係、どうなるんだろう?
 
 ところで歴代初の女性大統領となるパククネ氏。ただものではないオーラがテレビからでも伝わってくるのだ。
 国民一人一人と接するときはいつも優しい微笑みを浮かべて「韓国の母」というイメージを醸し出している。だがテレビ討論などでは、その目が鋭さを増す場面が何度もあった。
 
 彼女の父親は第5代~9代まで大統領を務めたパクチョンヒ。彼はKCIA(大韓民国中央情報部)の部長により射殺されてしまった。その父の暗殺よりも以前に母親も暗殺されている。つまり両親ともに「暗殺」という形で失っているのである。
 
 パクウネ氏の右頬の端をよく見てほしい。10センチ以上にわたり傷がある。彼女自身もテロに遭いナイフで顔を切りつけられ重傷を負った経験を持つ。60針を縫ったという。
 その後様々な政治的困難を乗り越え、第18代大統領の座をつかんだ。
 目の奥に修羅場をくぐり抜けてきた凄味を感じるのは私だけであろうか。

 
 そんな大統領選挙のまっただ中、私はというと部屋で寝込んでいた。
 ある夜、体が痺れてうまく動かなくなった。その後身体が真っ赤に腫れ上がり、全身の皮膚がただれたようになってしまったのである。
 何か悪いものを食べてしまったに違いないと思い、部屋で安静にしていた。幸い週末ということもあり、勤務はないのでとにかく部屋で休むことにした。一日ずっと部屋で寝転んでいたが一向によくならない。むしろひどくなってきている。身体中が赤く腫れ上がり、激しい痒みがある。もう一日休めば引くだろうと思い、そのまま寝転んでいたがだめである。
 
 日曜の夜、症状がどんどん悪化してきて、手や足が真っ赤に腫れ上がり、身体中が痛くなり激しい痒みにも襲われ熱も出てきた。これはまずいなと思い、夜の冷え切った街に出た。
 日曜の夜、どの薬局も閉まっている。市場まで歩き、ようやく5件目でやっている薬局を見つけることができた。
 
 初老の薬剤師が、私の真っ赤に腫れ上がった手を見つめる。
「いったい何を食べたの?」と聞いてくる。
 身体が腫れ上がった日に食べたもので、これが原因ではないかと思うものがあった。金曜日の昼、外国語の先生方に誘われて「メギタン」をご馳走になった。「メギタン」とはナマズの煮込みスープである。あれではないかと思ったのだ。あと心当たりがあるのは市場で買った巨大シメジ、殻付き落花生、そんなところだろうか・・・。 
 初老の薬剤師は「これからしばらくお酒は絶対に飲んではだめだよ。」と言って飲み薬と塗り薬を処方してくれた。
 
 夜の街をアパートへと向かう。うまく歩けない。身体は冷え切り、部屋についた時には気力がかなり萎えてしまっていた。
 その夜はほとんど一睡もできず、朝を迎えた。薬を服用し、塗り薬もしっかりと塗ったのに、全く良くなっていない。相変わらず身体中が真っ赤に腫れあがったままだ。
 
 その日は月曜、もちろん勤務がある。
 学校に向かい同じ日本語科のイ先生に事情を説明した。赤く腫れあがった腕を見せると、イ先生は驚き教頭先生に事情を話してくれて、すぐ病院へ直行となった。こちらへ来て初めて病院にやっかいになることになった。
 
 
 雑居ビルの二階にある小さな個人病院である。その病院の先生は本当に優しく温かい人柄の持ち主であった。
「いつ何を食べたか?」「熱はあるか?」ということを聞いてきた。「メギタンを食べた。」と言ったが、私の腫れ上がった腕を見ながら首をひねっている。どうやら「メギタン」が原因ではないらしい。すぐ注射を打ち、飲み薬と塗り薬をもらった。
「安静にすること。明日も同じ時間に来るように。お酒は絶対に飲んではだめ。」と伝えられた。
 
 イ先生からの「今日はもう部屋にもどってゆっくり休んで下さい。」という言葉を少し期待している自分がいた。身体が全くダメで弱気になっていた。彼女は月曜日授業はない。少しでも代わってもらえないかという甘い考えが自分に湧いてきていた。だが彼女からのそんな言葉はもちろんなく、結局学校にもどり、それから4時間の授業をこなした。
 
 いつものように生徒達はこちらに冗談をいろいろと言ってきたり、ちょっかいを出してきたりするのだが、それにうまく対応できない。たぶん注射が効いているのだろう。頭がぼうーっとして目が霞む。
 職員室ではうつむき、じっとしていた。わずかでも動くことが億劫だったのだ。じっと背を丸め目を瞑り、時間が過ぎ去るのを待っていた。
 それでもチャイムが鳴れば背筋を伸ばし、笑顔で教室に入った。一日の勤務を終えたときには疲労困憊になっていた。
 
 部屋に帰り身体を調べたが、全く良くなっていない。全身が真っ赤に腫れあがったままだ。病院に行ったときよりひどくなっている。いったい自分の身体はどうなってしまったのだろうと、少し怖くもなった。アジアを一人旅しているときもそうだったが、とにかく異国で身体をこわすと気が滅入る。
 
 結局それから三日間は腫れが引かず、毎朝病院で注射を打ってもらいながら勤務を続けた。医者も何故こんなにも腫れが続くのか分からないようであった。
 
 
 そして今日全てが分かった。
 カン先生の山小屋で薪に火をともし、干し魚をつまみに焼酎を飲みながら語り合っているときのことだ。何日か前までひどい目に遭ったんだということを話すと「そりゃおまえ、あのスープだよ。」カン先生は大笑いしながら言う。
 
「あのスープ?」・・・そうだ。「あのスープ」なのだ。思い出した。
 
 私はある日、工業科の先生達に突然呼ばれて車に乗せられた。そして、本校で「花作り」を業としている人の韓屋に連れられていった。工業科の先生達ばかり総勢12人、それに私。
 
 私はその「花作り」の達人から、何故だか分からないがものすごく親しくされている。60代の後半くらいと思われるその人は、学校でずっと花を育てている。それを専門として働いているようなのだ。だからこの学校はあらゆるところにたくさんの植木鉢があり、いつもなにかしらのきれいな花が学校全体を飾っている。
 
 
 その「花作り」の達人の奥さんから韓国の伝統料理をご馳走になった。どれもこれもものすごく美味しい。例えばキムチ一つとってみても、味が別格なのである。
 一年以上韓国で暮らし、様々な場所で、様々なキムチを食べてきたが、私にとってその奥さんが漬け込んだキムチが文句なしのナンバー1となった。他の先生方も「これこそが本当のキムチだ。」と言って何度もおかわりをしていた。キムチだけで充分だと思えるくらい私は感動していた。
 
 その時に「あのスープ」も出されたのだ。茶色く表面にうっすらと金色の油が浮いている熱々のスープ。一口飲んで驚いた。うまい。うますぎる。先生方によると、とにかくそのスープには様々なエキスが入っており健康にとてもいいということであった。どの先生も2杯3杯とお代わりをする。結局私もみんなに勧められるままに3杯飲み干した。
 
 その時私の周りの何人かの先生が「明日大丈夫かなぁ、日本じゃこのスープないだろう・・・。」ということを話していた。何を心配しているんだろうと私はその時思っていた。その後、日本語が少し話せる機械科の先生が私の横にやってきて「初めて飲んだときは身体が腫れることがあるから。今日の夜かなぁ。明日かなぁ。まぁ大丈夫。大丈夫。」と言っていたのだ。
 
 私はそのことをすっかり忘れていた。その日の夜も次の日も何の異常もなかったからだ。結局身体が腫れあがったのは2日後のことであった。
 
 
 カン先生は薪をくべながら大笑いしている。
「俺も初めてあのスープを飲んだ時は身体が腫れ上がった。二三度目くらいからは大丈夫になる。俺はもう大丈夫だ。あのスープの中にはオッナム(漆・ウルシ)のエキスも入っていてな。それでアレルギーを起こすんだ。オマエ、病院で毎日注射かよ。ククククク。注射、毎日、ククククク。」
 
 私は二度とあのスープは飲むまいと心に誓った。ものすごく美味い。だが、ものすごく怖いあのスープを・・・。
 

 韓国大統領選挙の投票日は学校も休みであった。
 私は真っ赤に腫れあがった身体を布団に横たえながら選挙速報を眺めていた。その夜もほとんど眠ることができなかった。それでも朝方眠り込んでしまったらしい。

 翌朝、身体の腫れは嘘のようにひいていた。
 テレビをつけると、新大統領に決まったパククネ氏が微笑んでいた。爽やかな笑顔だった。

2012年12月9日日曜日

韓国を食べる・その3

 先日、雪が降った。
 朝鮮半島の南にあるこの街ではこれだけ降るのは珍しいようで、女性の先生達は校庭に出て、みんなで記念撮影をしていた。

 雪が激しく降り出したのは、私の日本語の授業中であった。生徒はみんな興奮して席を立ち上がり窓辺に寄っていく。初め私は「アンジャ(座って)!」といって注意していたのだが、生徒達に誘われて私も窓辺に寄ってみる。校舎の三階から生徒達と一緒に雪が舞う校庭を見つめる。牡丹雪が舞い、あっという間に校庭を真っ白に染めていく。

 しばらくすると、授業中にもかかわらず生徒達が続々と校舎から出てきて校庭を駆け回る。「先生、俺たちも行きたいよ。」と生徒達が次々と言い出す。「アンデアンデ(ダメダメ)。」と私は言い、席に着くように促すが、生徒達は窓辺に集まり校庭を見続けたままだ。そしてどんどんと他の生徒達が校庭に出てきて、積もり初めた雪をかき集め雪合戦をし始めた。


 どうやら他の授業は中断し、生徒を自由にしたようである。ちょっと迷ったが、私も生徒達にOKサインを出す。生徒達はウォーと叫び声をあげ、教室から飛び出していく。

 雪が降り出したから授業を中断するっていうのは、まずいかなぁとも思ったが、まぁいいやそんな時もあるだろうと思い職員室に戻る。授業を中断した他の先生方ももう戻っていて、職員室の中から校庭を駆け回る生徒達を、目を細めて眺めていた。


 校庭に出てみると、何人かの生徒が寄ってきて日本語で挨拶をしてくる。みんな興奮して顔が赤く染まり上気している。

「ソンセンニム、アクスアクス(先生、握手)!」と言ってくるので右手を差し出すと、両手で握りしめられた。そこには雪があり、私の右手は雪まみれになった。
「こんばんは、だいじょうぶだ!」と言って生徒達は奇声をあげながら笑顔で逃げていく。私も思わず笑みがこぼれる。しかし日本語の使い方は相変わらずめちゃくちゃだ。うーむ。

 私は雪まみれになった右手を見つめる。雪の冷たさがなんだかとても心地よかった。


 さて、韓国のうまいものをいくつか紹介しようと思う。
 
 
 これはスンデ。
 豚の腸に春雨、お米、豚の肉や血などが詰められたもの。酒のつまみにこのまま食べてもいいし、スープの中に入ったスンデクッパも美味い。
 
 
 
 これは真ん中の醤油漬けにされた魚を海草や野菜、様々な具材で包んで食す。先輩の先生にご馳走になったのだが、マッコリにとても合う。
 
 
 
 この魚料理は名前は忘れてしまったのだが、コラーゲンたっぷりでとても美味。日本では食べたことがない食感であった。醤油やコチジャンにつけて食べる。これも先輩の先生方に誘われて。
 
 
 
 パッグクス。
 おしるこの甘くないものにうどんの麺が入っていると思えばいい。
 市場の奥の暗い路地裏にある店で食べた。昼間から焼酎を飲んでいるアジョッシ(おじさん)たちがいた。そこのアジュンマは気さくで、どんどん自分に話しかけてきた。何を言っているのかほとんど聞き取れなかったが、温かさの溢れる心地よい店だった。
 これに砂糖や塩をお好みに入れて食べるのである。甘いうどんというのは不思議な感覚に陥るのだが、美味いことは確かである。
 
 
 
 これは川魚の蒸し煮。
 先輩達に連れられて川沿いの店で食べる。マッコリや焼酎がとても合う。

 ところで先輩の先生達とは100回くらい食事に行っているが、自分が払ったのは3、4回くらいであろうか。ホント、お世話になっている。
 ちなみに韓国では支払いで割り勘の習慣はない。誰か一人がまとめて払う。
 
 
 
 これはマンドゥ。
 豚肉、ニラ、白菜などが入っている。韓国風蒸し餃子である。美味い。
 しかしずっと以前に中国の西安で食べた蒸し餃子は格別であった。小ぶりのものだったが、あまりのうまさに30個くらい食べた記憶がある。私は今まで蒸し餃子ではあの西安のものより美味いものに出会ったことはない。西安の餃子、恐るべし。
 
 
 
 焼き肉。盛り合わせ。
 これはまぁ定番ですね。ただ、自分は韓国の肉料理はやっぱりスープものが美味いと思う。でもやっぱり時々はこれ。
 家族が韓国に来たときに一緒に食べた。美味かったなぁ。やっぱり家族で食べる食事が一番美味い。結局はそこに行き着くのだ。
 
 
 
 ナッチのぶつ切り。
 これは皿の上でずっとうごめいている。それを見て苦手な人もいるかもしれない。ごま油につけて食べるのだが、口の中でも動く動く。ちなみに韓国の人に聞くと、タコとナッチは別物だという。確かにタコの刺身とは全く味が違う。私はナッチの方が断然美味いと思う。スタミナがすごくつくと先輩の先生方は言っていた。
 
 
 
 参鶏湯(サムゲタン)。
 若鶏まるまる一匹使い、その腹の中に生薬や餅米を詰め込んで煮込んだもの。私の好物の一つ。栄養満点である。寒いときに食べるのが体が芯から温まっていいんだけど、夏の暑いときに夏バテ防止に食べることもある。塩をお好みで入れて味付ける。
 
 韓国人は食べることをものすごく大切にしています。
 しっかり食べてこの冬を乗り越えましょう。風邪などひかないように。お互いに。
 
 

2012年12月1日土曜日

全てを・・・。

 先日文化祭が終わり、これで全ての行事が終了した。再来週には最後の学年末試験が行われる。勿論、試験後も授業はたっぷりとある。だが試験後はまともな授業ができない。生徒のモチベーションが、がくんと落ちてしまうからだ。どの先生もとても苦労することになる。もちろん私も・・・。
 
 昨年は試験後、学校に来なくなってしまう生徒も少なからずいた。一足先に勝手に冬休みに入ってしまうわけだ。教科書を捨ててしまう生徒もたくさんいて大変であった。
 さて今年はどうなることやら・・・。
 

 文化祭ではダンスに歌にコントに生徒達はとてもはりきっていた。オーディションがあるためとてもレベルが高い。そして生徒達の授業では見られないとても活き活きした姿を見ることができ、こちらも自然と笑みがこぼれる。
 ただ少し疑問に思うことがある。それはこの出演メンバー達が、放課後ではなく授業時間に練習を行うということだ。
 私は最初、これにはとても驚いた。たくさんの先生方からの批判があるにもかかわらず、何故か認められているのである。
 
 授業に行くと生徒達が半分ぐらいしかいないクラスもある。私からみると「練習」と称して授業をサボっているとしか思えないのだが・・・。オーディションも授業時間内に行われる。案の定メールで先生方からいろいろな報告が入る。「練習」と称して空き教室で音楽を聴きながらたむろしていたり、校外に勝手に出てしまったり、そして喫煙。問題山積みなのである。授業がちょっとないがしろにされている気がするのだが・・・。ただこれは文化祭に限ったことではない。
 
 本校には特待生が各クラスに何人かいて、一般授業にはほとんど出ない。機械や電気の専門的な高度な技術を実習棟でずっと学んでいる。そして技能オリンピックのような各種大会にも参加している。卒業後はみんな一流の会社に引っ張られることになる。
 それでも空き時間に日本語の授業を受けに来る特待生もいる。だが、平仮名さえ読めない者がほとんどだ。一学期に全くと言っていいほど授業に来なかったのだから仕方ない。
 だが、彼らは誰もが感じのいい生徒達で「学びたい」という意識がとても強い。ただ中にはクラスの仲間に全くうち解けることができない者もいる。あたりまえである。めったに教室には来ないわけだから・・・。


 本校は吹奏楽部とフェンシング部が強い。どちらも全国レベルである。
 吹奏楽部は毎日早朝練習を行い、放課後もみっちりと練習している。だから授業では疲れ切っている者が多い。だがどのメンバーもとても気さくで私にはよく声を掛けてくれる。真面目な生徒が多いように思う。
 大会直前はやはり授業は免除され、練習に打ち込むことになる。

 だが、もっとすごいのはフェンシング部だ。ほぼ完全に授業に来ない。朝から晩までずっとフェンシングの練習をしている。外部の専任コーチが、つきっきりで一日中指導している。私は教職員バレーでこの若いコーチと親しくなり、食堂で出会った時などは話したりもする。長身で体はごつい。だがとても温かい心の持ち主である。

 それにしても・・・と思う。フェンシング部のメンバーはせっかく工業高校に入学したのに、工業に関する技術を何も身につけることもなく、教室に入ることもなく、様々な行事にも参加せず、社会見学や遠足、修学旅行などにも行くことなく高校生活を終えることになるのだ。
 毎日グランドでトレーニングをし、体育館でフルーレを持ち続けるのだ。汗にまみれながら・・・。
 フェンシングで食べていけるのだろうか?と少し心配になってしまう。誰もが一流選手になれるとはかぎらないだろうから。私には想像もつかない世界がそこにはある。


 ところがある日、やんちゃなメンバーが集まる9組に授業に行くと、フェンシング部の生徒が座っていた。彼の席は一番後ろで、いつもはずっと空席になっていた。声を掛けると、恥ずかしそうに微笑む。大きな大会が終わったばかりで、授業に出る許可をもらい、日本語の授業にやってきたという。もちろん教科書は持っていない。筆記用具もない。体一つでやってきている。

 それ以来、何度か彼は日本語の授業にやってきた。彼と私は何故だかわからないが、すぐうち解けた。最初はふてくされたように机について黙っているだけだったが、私はかまわずに彼を指名した。もちろん彼は何も分からない。平仮名だって一文字も読めない。だが彼は私の後について発話するようになった。

 ある日、彼は授業中スマートフォンでゲームをしていた。まぁ彼だけではない。生徒達は隙あらば何かをやろうとする。それを私は一つ一つ注意している。日本語を教えることよりも、そっちの方がメインになっていると言っても過言ではない。

 彼はばれていないと思っていたようだが、こちらからは机の下が丸見えなのだ。
 私は発話練習をしながら机間巡視をするふりをして、彼の背後に回り込み、首根っこを押さえつけると同時にスマートフォンにすばやく手を伸ばした。彼はさっとそれを隠し、謝った。
「授業中はダメだよ。」というと「分かりました。」と言い、ニヤリと笑う。

 私は内心とても驚いていた。彼の素直な態度に驚いたのではない。スマートフォンを隠したそのスピードに驚いたのだ。

 私は韓国に来てから、スマートフォンをいじくっている生徒をたくさんつかまえてきた。そして確実に現場を押さえていた。いつも私の手の中にブツはあった。100パーセントだ。一度のミスもない。生徒は私の背後からの攻撃に反応できない。できたとしても必ず遅れる。だから最近では私が机間巡視しだすと、生徒達は合図を送りあってすぐ隠してしまう。中には明らかにわざと勝負をしかけてくる者もいる。もちろんいつも勝つのは私だ。それだけ生徒とも親しい関係ができてきたわけだが・・・。

 それにしても驚いた。一瞬のうちにそれはなくなった。
 彼の隣にいるこのクラスの中心人物で、いつも私に首根っこを押さえつけられているやんちゃな生徒も驚いていた。「先生が負けた・・・。」そのやんちゃな生徒は満面の笑みで私を見つめてくる。

 私は低く唸った。
「うーむ。さすがフェンシング部のエースだ。視野が広いし、動体視力と反射力が神の領域に入っている。こやつ、ただ者ではないな。」


 そのことがあって以来、彼は私に親しく話してくるようになった。この間はこんなことを言ってきた。
「先生、俺ってハンサムでしょ?なかなかいないでしょ、こんなハンサム。」
私は苦笑いしか返せなかった。何故なら彼は、はっきり言ってハンサムなのである。そして背が高くスタイルがいい。俳優でもいけそうな感じだ。だけどなぁ~オマエ、自分で言うなよなぁ。
 私はその時決意したのである。今度こそ彼のスマートフォンをとりあげてやろうと・・・。

 ・・・がしかし、彼はまた厳しい練習の日々に戻ってしまった。授業にはもう出られない。一番後ろの彼の席は、ずっと空席のままだ。

 今日もまた彼のマスクの下は汗まみれになっていることだろう。

 そして彼の突き出すフルーレの切っ先は私には見えないんだろうなぁ。
 その私には見えないほんのわずかな空間に彼は全てを懸けているのだ。

 文字通り、青春の全てを・・・。