2012年3月19日月曜日

上海

 3月から新学期が始まっている。日本より1ヶ月ほど早い。
 今年度は日本語の教師が一人減り、単位数も減った。キム先生がいなくなったため、イ先生と二人で2年生9クラスを教えることになった。
 この間釜山日本語教師会に足を運び様々な機関で日本語を教えている方々との交流を持った。そこでも話題になったのが日本語学習者の減少である。大学などでは受験者数が大幅に落ち込んでおり、定員割れをおこしているらしい。「東日本大震災の影響がやはり大きいようだ・・・。」というのがそこに集まっているメンバーの共通の見解であった。
 そのことを学校に戻り、イ先生に伝えると「地震や津波や原発のことは関係ありません。ここ何年かの日本の政治家の発言が、韓国人のあいだでは問題になっています。もう日本語を勉強するのはやめようというムードがでてきています。」とおっしゃった。
 その「政治家の発言」というのが誰のどんな内容のものなのかは私にはわからない。だが、過去の歴史に対する政治家の個人的な見解が、現場を大きく揺さぶることもあるのだと少し恐ろしさを感じた。


 私はかつて上海の大きな書店でチベットのポタラ宮殿の写真集を買おうとした時、中国人の若い店員とトラブルになったことがある。
 私が日本人だと分かると、おまえには売らないと言われ、大声で殺人者呼ばわりされた。何事だという感じで、たくさんの客が私たちを取り囲んだ。
 ここは上海でこんな大きな書店なのに、なんでこんなことになるのだろうと私はその時思った。いったいこの店員の態度は何なのだ。今だったら何事もなかったようにその場を離れることができると思うのだが、その時の私はまだ20代前半で血気盛んだった。
 「金は払う。俺は客だ。その本を買いたいんだ。」そう言うとその中国人の青年は「日本人に売る本はない。」と言い切った。私が「じゃあマネージャーを呼んでくれ。」というと、その店員は突然カウンターから出てきて私の腰のあたりを蹴ってきたのだ。
 私は驚いた。本が買いたいと思い、本屋に行き、中国人に囲まれ店員に蹴られている自分・・・。
 確かに中国の旅ではいろいろなトラブルに巻き込まれたが、温かい人たちにたくさん出会った。嫌な思いもずいぶんとしたが、たくさんの人に助けられもした。長い旅の最後の地でこんなことになるとは思わなかった。
 私はケンカなどするタイプの人間ではないのだが、その時は違っていた。私は思い切り蹴り返していた。なるようになれと思った。日本人とか中国人とか関係ない。人間としてその若者を許せないと思ったからだ。日本人を憎むのは自由だ。だが、店に本を買いに来た人間を日本人だからと言って蹴るとはどういうことだ。
 でも不思議と気持ちは落ち着いていた。何故ならその若者の表情が尋常ではなかったからだ。目が血走り、口から唾を飛ばしながら大声で何かを叫びながらつかみかかってくる。相手の異常とも思える興奮が逆に私を冷静にさせた。私もつかみかかって真っ直ぐ相手の目を見つめた。一歩も引くつもりは無かった。

 だがすぐに我々は警備員に取り押さえられた。暴れまくっている店員には三人くらいの警備員がつき両脇をかかえられどこかへ連れて行かれた。連れて行かれる時も何かを大声で叫んでいた。私には一人の警備員がつき書店の裏口から外へ誘導された。表玄関付近には野次馬たちがいてそこを通るのは危険と判断したのだと思う。

 私は上海の裏道を一人歩きながら、その時初めて体が震えてきた。あの店員はナイフを持っていたらきっと迷わず私を刺したと思う。それほど尋常ではない雰囲気を醸し出していた。何か薬物でもやっているような異常さがあった。私が日本人と分かった瞬間に狂気のスイッチが入ったようだった。
 日本人が過去に行った行為に対しての復讐心・・・。あるいは彼が今まで日本人から何かひどい仕打ちを受けたのか・・・。いずれにしろ、それが初対面の自分という個人に向けられることへの恐怖・・・。
 「おまえを許さない。」ならまだ分かる。だが「おまえが日本人だから許さない。」というのは本当に恐ろしい。
 「あなたには何の恨みもない。そもそもあなたが誰で、どんな人かもわからないのだから・・・。だけど死んでもらうよ。何故って?そりゃあ分かるだろう?あなたは~人じゃないか。」・・・こんな悲劇は今でも世界中の至る所で民族紛争として残っている。
 人間を個人として捉えることのできなくなった異常な世界・・・。


 私はよせばいいのに次の日も同じ書店に出かけた。自分でも分からないのだが、勝手に足が向いたように記憶している。あの頃はいつもわざわざトラブルに向かって歩いていた。20代というのは誰もがきっとそうなのだろうと思う。
 昨日と同じ時間帯に訪れたのだが、その日は何故か書店の客はとても少なかった。
 真っ直ぐにあの写真集のコーナーに向かった。だが、カウンターを見るとあの店員はいなかった。代わりに若い女性の店員がいる。昨日買いたいと思った写真集は何故か戸棚にはなかった。
 そのことを若い女性店員に告げると、彼女は店の奥に入っていった。そして二人の恰幅のいい中年の男性二人が現れた。スーツ姿の二人は私に丁重に挨拶をして店の奥にある本の倉庫の中に私を連れて行った。
 その時の私はかなり用心していた。ドアや窓、階段の位置を確認しながら二人の後について歩いた。
 こんな倉庫の中に連れてきていったい何をしようというのか。昨日の店員がそこに待っているのか。「日本人に売る本などない。」と言って、袋だたきにするつもりなのか・・・。
 だが、違った。二人の男はチベットのポタラ宮殿の写真集を私に手渡した。そして定価よりも安く売ってくれた。それから昨日のことを謝ってきた。昨日の店員のことを聞くと、もういないとのことだった。「あの店員には我々も困っていた。」というようなことを言う。昨日の件で首になったようなのだ。

 あの若い中国人は全力で私に向かってきた。すさまじい怒りと興奮を感じた。中国を旅するうえで、私は日本人としての何か大切な意識が欠如していたように思う。そのことをあの若者が伝えてくれたのかも知れない。なんだか少し寂しい気がした。
 二人のスーツの男が媚びを売ったような目つきで私を見つめてくる。何事も丸く収めようとする商売人の目だ。顔は微笑んでいるが、目は決して笑ってはいなかった。
 「おい、日本人、いいからもう帰ってくれ。昨日のことは内緒だぞ。店の評判につながるからな。日本人はいい客なんだ。これからもしっかり稼がせてもらうつもりだ。もめ事はごめんだ。だからおまえは早く帰ってくれ。」そんな声が聞こえてくるようだった。


 あれから20年以上の時がたった。上海はずいぶんと変わったと聞く。
 今もしあの時の店員に出会ったらどうなるだろう。たぶん彼も40代半ばくらいになっていると思う。今でも目を血走らせていきなりつかみかかってくるだろうか・・・、それとも酒でも飲みながら二人で何か話ができるだろうか・・・。

 私は本を小脇に抱え、薄暗くなった街を小走りに宿へと戻った。

 路地裏では、いたるところで様々な国の男達が集まり何事かを話している。そして行き過ぎる私を暗い目でじっと見つめてくる。
 一人で立ち尽くしている女達が私に声をかけて、手をのばしてくる。

 私は小走りに路地裏を抜ける。上海の夜が始まる。上海は眠らない。

5 件のコメント:

タクです。 さんのコメント...

三年位前の話です。自宅前の公園を素通りした私は、怒鳴り声がしたので足を止めました。声の主は浮浪者でした。自分を見たということで絡んできたのです。ただ絡まれるのならいいのですが、相手の眼つきの異常さに、それから暫くの間、公園を避けるようになりました。
派遣切りで世の中が混沌としている時。初めて会う人から、こんなにも荒んだ眼を向けられることに驚きを越して、生まれて初めて恐怖を感じました。
だけど今、その彼から何か学んだように感じているのも事実です。彼は39才と言ってました。

健 さんのコメント...

「タクです。」というのは、たくちゃんですか?それとも別の方なのでしょうか?そこがちょっと分からないのですが、たくちゃんだと思ってコメントを返します。もし別の方なら失礼いたします。。。。

たくちゃん、元気ですか?仕事は前の仕事を続けているのでしょうか?また、ビールを飲みながら昔のようにのんびりと話でもしたいですね。
私はとにかくたくちゃんと話すのが好きでした。とてもリラックスできたから。そしていつも話した後は元気になりました。たくちゃんはいつも前向きだからね。熱いことをさらりと語っていたね。
たくちゃんの生き様はドラマのようだけど、私は相変わらずです。また、いつかどこかで会えたら、冷えたビールでも飲みましょう。ギターも聞かせて下さい。

中野の琢也です。 さんのコメント...

申し遅れました。中野の琢也です。ブログ楽しく読まさせて頂いてます。私も相変わらずです。ただ、中国の彼の怒りとは種類を異としますが、私の出会った彼の怒り?に触れ考え方が大きく揺らいだのは事実です。

健 さんのコメント...

やっぱり、たくちゃんだったんだね。
その公園の人も、たくちゃんだから声を掛けたかも知れないね。年齢まで言うっていうのは何か関係を持ちたかったのかもしれないし。

ところで自分は思うんだけど、働く場所がないっていうのは甘えているんだと思う。
仕事はいくらでもある。魚市場で働いているときに本当にそう思った。仕事を選ぶから「仕事がない。」なんて言うのだと私は思います。
仕事はいっぱいあります。派遣切りされたと怒る前に、海や山や高原に行ってみたらいいと思う。仕事は山ほどあります。
あとは動くかどうかだけの話だと思うんだけどね。

中野のタクです。 さんのコメント...

前回は時間がなく、脈絡なく終えてしまってゴメンなさい。公園の彼の抱えていた想いは、憎しみから出たものなのか分からないが、私に及ぼした影響は多大なものでした。何故なのか理由を探ると、一つに健チチが感じたように眼。眉間に皺を寄せた怒ってますよという眼ではなく、諦めの混ざった憎しみというか、映画や芝居でも見たことのない眼に遭遇したこと。二つ目に、家の目の前ということもあり、家族に被害が及んだらと外に出ていても落ち着かないということ。(半年位決まった時間にいた)三つ目に、私の激昂振り。「この町はバカばかりで、みんな死ねばいい。」この言葉で、完全にこっちが切れました。この日の為に、怒りを取って置いたと言わんばかりに爆発しました。殴れるものなら殴り倒したい、そればかり考えながら彼のその眼を見返しました。そして最後に、彼の若さに愕然としました。
その後どうなったかは、次回ビールでも飲みながら話したいですね。簡潔にと思ったけど長くなりました。応援してます。