2012年8月19日日曜日

夏、海風に包まれて

 日本から三週間ぶりに韓国のアパートに戻る。
 博多までは家族が車で送ってくれた。博多から高速艇で釜山の港へ。そこからタクシーで高速バスターミナルのあるササンへ。

 タクシーの運転手は日本語ペラペラのヤンさんという運転手だった。13年前から日本語を学んでいるという。
「日本語お上手ですね。」
「そんなことありませんよ。」
「どこで勉強したんですか。」
「ここです。車の中で勉強しました。」
そうか・・・客待ちの時間を利用して勉強し続けてきたのだ。独学で13年間・・・。ここにもまた見習うべき人がいる。いつも師は身近にいるものだ。

 ササンからチンジュ行きのバスに乗る。
 ぼんやりと流れる景色を眺めながら過ごす。ピンク色に染まっていた空がやがて濃い紫色へと変わっていく。チンジュのバスターミナルからまたタクシーをひろい、アパートへ。一日がかりの行程である。


 ドアを開けると熱気のこもったよどんだ空気がそこにあった。
 台風が来るかもしれないので全ての窓を閉め切ってでかけようと思ったのだが、トイレの窓だけ数㎝だけ開けておいた。室内に熱がこもりすぎると思ったからだ。だがアパートの空気は死んだように動きを止めていた。

 私はすぐに一番気になっていたものに目を向ける。そして声をあげる。工業科の先生からもらった多肉性植物。全ての葉を落としていた。帰国する前、たっぷりと水を与えたのだが、この部屋の熱気に耐えられなかったようだ。どの葉も枯れているというよりは、焦げているように真っ黒で、さわるとカサリと崩れてしまった。茎だけはまだかろうじて生きているようにも思える。乾ききって熱を含んでいる土に水を与える。
 窓を開け、扇風機と換気扇を回し、新しい空気を部屋に取り込む。シャワーを浴びた後、買ってきたビールの栓を開け喉を潤す。
 茎だけになった多肉性植物もこの部屋もそして自分もほっと一息をつく。


 朝起きていつもの食堂に行く。
 少し時間をいつもよりずらして行った。テレビのニュースではひっきりなしに竹島・独島の問題をとりあげていたため、そのニュースが終わってからアパートを出た。おばさんは私が店に入ると、大きな声を上げ満面の笑みになった。
「お帰り、久しぶりだねぇ。」
「こんにちは。」
「会いたかったよぉ。」
「またよろしくお願いします。」
「あーホントよく来たねぇ。お茶、冷えたの出すね。」
私はホッとした。韓国ではいつもこのおばさん達の笑顔に救われる。

 昼には市場にでかけた。
 ここをのんびりと歩くと何故か気持ちが落ち着く。野菜、魚、肉、果物、様々な乾物や惣菜、食器や衣服、そしてそれらを売るアジュンマ達。様々な色と臭い、そして音がチャンプルになって体をやわらかに包み込む。


 細い路地をゆらゆらと歩く。市場の中のほとんど人通りのないところにある小さな食堂に入る。テーブルが三つ。おばさんが一人でやっている。「テジクッパチュセヨ。」というと豚肉の煮込みと様々なキムチや惣菜が運ばれてくる。
 市場に来たときは時々この食堂に入る。いつも食事時を避けて行くので、今日も客はいない。私一人だけだ。

 このおばさんは私のことを信用しきっており、いつも私が食事を始めるとどこかに行ってしまう。自分の用事のために出かけてしまうのだ。他のお客だって来ることもあるし、売上金だってそのままである。私が悪人だったらどうするのだ?
 だが、おばさんはいなくなる。食べ終わっておばさんが帰ってくるのを待つこともある。店番をやらされているようなものだ。
 やはり今度もおばさんはいなくなった。ここまで異国人を信じるっていうのもなんだか凄味を感じる。そしてこちらも信じられる気持ちよさがある。店の前でしばらく待っていると、「ごめんね。」と笑いながらおばさんが路地の奥から歩いてくる。
 私はおばさんから「この男は大丈夫。」と思われているようなのだ。まぁそれもいいだろう。とにかく韓国ではアジュンマ達に救われているのだから。


 この夏、日本ではいろいろなことをしようと思っていた。だが結局何一つ手をつけることなく終わった。日本の夏にどっぷりと浸かってしまった。

 朝、私は一番に起きる。ゴミ出しに出る。ぞうりを履き、田んぼに挟まれた道を歩く。朝日がまぶしい。空が高く広い。雲が朝焼けに染まっている。海からの風が心地いい。
 家に戻り、ご飯を炊き、味噌汁を作り、魚を焼く。ネギを刻み、納豆をまぜる。家族が起きてくる。みんな夏休みなのに予定がびっしりと入っていて忙しい。何もないのは私だけだ。
 家族を送り出し、風呂を洗い、洗濯をして食器を洗う。コーヒーを淹れ、新聞を開く。テレビをつけてオリンピックを見る。子供の送迎があるときもある。久しぶりの車、慎重に運転する。
 庭に出て草をむしる。除草剤をまく。伸びた枝や蔓を剪定する。

 食材を買いに行く。昼に次男がいるときは一緒に食事をし、その後昼寝をする。海風にあたりながら体を伸ばす。次男は本当によく寝る。そしてよく食べるようになった。
 長男は合宿や試合がたくさん入っており、妻は仕事で忙しい。だからかろうじて自分と時間がとれるのは次男だけだ。
 ウッドデッキのペンキを塗り直す。車のタイヤ交換をする。魚たちの水槽の掃除をする。子供達の自転車の整備をする。

 次男と格闘ゲームをする。海に行き一緒に泳ぐ。小魚の大群を二人で追い込む。
 スイカを切り、一緒に食べる。
 風呂に二人で入り、いろいろと話をする。その後、冷えたビールを飲む。

 この夏そんなふうにして毎日を過ごした。


 痛めていた肩や首がいつのまにか治っていた。強ばっていた心もほぐれた。日本の夏が癒やしてくれた。

 さて新学期が始まる。残り半年、笑顔で頑張れたらと思う。
 それにしても時が過ぎるのは早い。泣けるほど早い。歳と共にその加速度は増していっているように思う。

 一日一度、空を眺めようと思う。




4 件のコメント:

tomy さんのコメント...

おかえりなさい!
日本の夏、ゆっくり堪能されたようですね。
スイカや素麺を食べて畳の上でゴロンと寝ていたいです。

健父 さんのコメント...

モリさん、生きていたんですね。安心しました。

ブログの更新が止まっていたので、どうかなぁと思っていました。
まぁでも便りのないのはよい便りっていう言葉もありますからね。

ドイツの夏を満喫していることでしょう。
いいなぁ、冷えたビールとソーセージ。

でもやっぱり夏は日本ですな。

ドイツの写真、楽しみにしておりますよ。
お互い頑張っていきましょうね。

末っ子 さんのコメント...

本当に、時がたつのはあっという間です!
こちらにはもう23期の先生が来られましたよ。
終わりが見えてきましたね!

いいことも悪いこともいろいろあるけど、あと7か月頑張りましょう☆

3月に帰国したら一度、22期のみなさんに会えたらいいなぁ♪

健父 さんのコメント...

そうかぁ~。もう23期が来たんですね。
いやぁ~、それはなんとも・・・。
ホント時間っていうのは恐ろしい勢いで流れていくなぁ。
そして二度と帰ってこない。

そうだね。3月に乾杯をしたいですね。
ホリオさんの言うとおり、「いいことも悪いこともいろいろある」・・・たぶんこれって、かけがえのない時間なんだろうね。

みんなの健康を祈ります。