2012年1月30日月曜日

波、そして雪

 韓国に帰ってきた。
 3週間ほど締め切っていたアパートは、冷蔵庫のように冷え切っている。オンドルと温風器のスイッチをオンにしてもなかなか部屋は暖まらない。私が居なかったあいだ、この部屋は冬眠していたのだろう。


 人が住まなくなった家はあっという間に朽ちていくという。家が人とともに生きているというのがよくわかる。この部屋でもう5ヶ月ほど暮らしたが、愛着が湧いてきている。この韓国のアパートにはあと一年以上世話になる。この空間で多くの時間を過ごすことになる。
 部屋が少しずつ暖まってきた。どうやら部屋もつかの間の眠りから覚めたようだ。

 
 日本に帰っているあいだ何をしていたか。何もしていない。強いていえば家事をしていた。家族は仕事もあり、学校もある。自分だけが何も無い。以前アジアを長く旅していた時と同じような感覚を味わっていた。
 インドの小さな漁村にある安宿の薄汚れたベッドで目覚める。「さて何をしよう。」とぼんやりと思う。とにかくすることがない。
 部屋を出て海岸沿いをぶらぶらと歩く。もう村の漁師達は漁に出ている。砂浜に座り込み波の形状を見つめ続ける。波の形には何か法則のようなものがあるような気もするが、つかみ取れない。黒犬がいつものように寄ってきて、自分の側に座る。近くで遊んでいた子供も側に座る。子供は波を見続けている私を不思議そうに見つめてくる。
 水平線に目を移すと、空と海の境目がわずかに光っている。目を凝らすと細かい銀片が舞っているようにも見える。
 自分の五感が広がっていくような感覚を覚える。波の揺れ、砂浜を静かに吹き抜ける風、足下を流れる砂の粒子、私の側に座る子供と犬の脈動、それらが私の中にゆっくりと入ってくる。
 
 
 帰国中の日本での毎日。
 朝六時くらいに目覚める。ゴミ出しをする。ご飯を炊く。大根、キノコ、豆腐などを具材とした味噌汁を作る。鮭や鯖や柳葉魚を焼く。ネギを刻み、納豆をかき混ぜる。朝食の準備ができたところで家族を起こす。たわいもない話をしながら朝食をとり、家族を送り出す。家族は職場や学校へとそれぞれの場所へ向かう。自分にはその「場所」が日本にはない。

 
 コーヒーを淹れ、新聞に目を通す。悲しいニュースが多い。
 食器を洗い、洗濯をする。部屋を片付け、熱帯魚と金魚の水槽を掃除する。風呂の掃除をした後、食材の買い出しに向かう。米、野菜、そして新鮮な魚、鶏肉などを仕入れる。主婦らに交じり買い物をするのもなんだか心地よい。どの女性も値段と賞味期限をしっかりチェックしているのが分かる。一つ一つの食材選びから家族を支えているのが伝わってくる。

 家にもどりこたつに入り外の風景を眺める。雪が揺れている。雪の描く軌道をぼんやりと見つめる。そういえば今朝、子供が雪の結晶の話をしていたことを思い出す。
 家事は一通り終わった。本を開く。沢木耕太郎の対談集『貧乏だけど贅沢』。以前買ったまま読まずにいたものだ。高倉健との対談の部分を読む。高倉健の人としての温かさが言葉の端々から伝わってくる。頂点を極めた人というのは、こんなにも謙虚で穏やかなんだなと思う。彼の生き様に思いを馳せる。風呂を沸かし、夕食の準備にとりかかる。家族がもうすぐ帰ってくる。今夜は何の話をしようかと思いながら野菜を刻む。


 ・・・雪や波を眺める時間。そんな時間を持つことは久しぶりである。
 

 インドで波を一緒に眺めていた黒犬と子供。彼らはあの時何を思っていたのだろう。
 あの子供は今はきっと漁師になり、あの海で波と戦っているに違いない。家族のために。そしてあの黒犬はもうこの世にいないはずだ。
 

 もしかしたら今もあの砂浜で、彼らの子供が見知らぬ異国人と一緒に波を眺めているかもしれない。

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