2012年2月6日月曜日

一人でぶらりと出かけようかと思い、地図を眺める。どこかの港町がいい。
 とはいえ釜山はもう10回以上も行き、いつも宿泊する宿の主人とは顔見知りになってしまった。どこか他の小さな港町がいい。
 地図を見ながらどこに行こうかと考える時間が好きだ。さて、どこに行こうか。
 文禄慶長の役で日本水軍を破った韓国の英雄、李舜臣。彼のゆかりの地である統営(トンヨン)に行ってみることにした。地図で海岸線の形状を見るとたくさんの入り江があり美しそうに思えたからだ。それにしても秀吉軍はこんなところまで攻めてきたんだなぁ。
   

  統営行きのバスはがらがらであった。バスは山や谷を越え海に向かう。
 統営は直感通りの素敵な港町であった。港にはたくさんの漁船が停泊しており、カモメが空に戯れている。
 李舜臣像がある南望山彫刻公園に上り、港町の形状を頭に入れる。


 市場をぶらつく。
 様々な活き魚が売られている。ヒラメ、鯛、穴子、うなぎ、チヌ、どれも四角いバケツの中を泳いでいる。様々な貝が海水の中を蠢いているのも見える。海草や乾物なども売られている。
 それらを眺めながらのんびり歩いているとたくさんのアジュンマ(おばさん)達から声をかけられる。やはりどこでも魚市場は活気がある。
 東京の築地で海産物の配達の仕事を一年ほどしていたことがある。築地の場内市場もそうだった。海産物を扱う人々は明るく元気で押しが強い。

 
 今度はアジョッシ(おじさん)から呼び止められる。入れ物にはヒラメや鯛などが泳いでいる。その中にやたらと生きのいい黒メバルがいた。アジョッシは鯛を勧めてきたが、黒メバルをさばいてもらうことにした。
 露店の奥にある店に入る。アジュンマがビールとキムチ、野菜などを運んでくる。しばらく待つと先ほど元気に泳いでいた黒メバルが刺身となり運ばれてくる。食べるとはこういうことだ。「いただきます」とは本当に命を「いただく」ことなのだ。
 一切れ口に運ぶ。身がコリコリしていて甘みがある。香りもある。無茶苦茶おいしい。たまらない。命をもらっているという感慨など吹き飛び、ビールを飲みながら刺身をつまむ。所詮自分の思考など、最高の味覚の前には粉々に砕け散ってしまう程度のものなのだ。


 だがどんなに美味いものでも一人での食事は寂しいものである。私の横ではカップルが刺身をつまみながら楽しそうに何事かを語っている。後ろでは年配の男女六人が焼酎を飲みながら宴会を行っている。私の前には若い男性と中年女性が鍋をつついている。
 年末年始、家族が韓国に来た。ソウルを観光した後、最後は釜山を訪れた。チャガルチ市場に行き、ヒラメ、イカ、タコの刺身、メバル、穴子の唐揚げ、そしてアワビのバター焼きを食べた。マッコリを飲みながら。・・・これは最高においしかった。ぶつ切りにされたタコはまだ生きていて、食べると唇や舌に吸い付いてくる。
 やはり食事は仲間や家族と食べるのが一番だ。


 宿を探す。数え切れないほどのモーテルがある。何故こんなにモーテルが?
 港の東には「金井荘」という商人宿のような建物があった。ニュージーランドで頑張っているカナイさんのことを思い出した。これも縁かもしれない。そこにしようかと思った。・・・だがやめておいた。今日はどうしても湯船につかりたいと思ったからだ。この金井荘、見たところ確実にシャワーしか無い。それも共同だと思う。
 今日は一人ゆっくりと湯船に浸かった後、夜の港を眺めながら冷えたビールを飲みたいと思っていたのだ。結局、港を見下ろす最高の立地にあるナポリモーテルというところに泊まることにした。「金井」より「ナポリ」に惹かれてしまったのだ。


 夕陽を見に行く。
 港を一望できるところまで丘を上っていく。風が冷たい。耳や頬の感覚がなくなっていく。こんな寒い夕方に夕陽を見に来る物好きな者など誰もいないと思ったが、私の他にもちらほらといた。みんな寒さに身震いしながら沈みゆく太陽を見つめていた。
 少しずつ港が闇に包まれていく。風が強くなる。体温がどんどんと奪われていく。
 以前旅先でいつも夕陽を眺めていた。だがその時とは違う。太陽の沈むスピードがものすごくゆっくりに思える。何故なんだろう。太陽が山の端に触れてからなかなか動かないように思える。
 生きているうちに自分の中の何かが変わったのだと思う。自分の中の時の流れに、微妙な変化が起こったのだと思う。そういえば夕陽をゆっくりと見つめるのも本当に久しぶりだ。
 
 
 太陽の最後のひとかけらが山に消えた。
それを待っていたかのように闇が港を埋めていった。

3 件のコメント:

末っ子 さんのコメント...

てっきり「金井荘」に泊まったかと思ったのに、読み進めると「ナポリ」に惹かれた…とあって、大笑いしました!

韓国の港町、美しいですね☆
写真からも活気が伝わって来るようでした。
お刺身もうらやましい!!
オーストラリアではやっぱり生魚や生卵が食べられません。
素材の味を楽しみたいものです。

外国に来て、日本にいた時よりも自由に使える時間ができたからでしょうか、最近いろんなことを考えます。
夕日を見ているとその答えのヒントがもらえる気がします。

次回はぜひ「金井荘」へ!

ひろあき兄 さんのコメント...

「金井荘」ちょっぴりがっかりですね・・・


韓国にはまっている金井としてもあまりおすすめはできません。日本人としてはやはり湯船につかりたいものですから・・・

機会があったら金井荘レポート宜しくおねがいします!

健父 さんのコメント...

ホリオさんへ

そうですね。ホリオさんの言うとおりだと思います。

古代、あんなにも偉大な哲学者や思想家がいたのは、時間がいっぱいあり、暇でしかたがなく、頭の中でいろいろと遊ぶことしかできなかったからだと思います。

夜も星空を見ることしかできなかったから、星座が生まれ、それに伴う物語も生まれたんだと思います。

のんびりと空や海を眺めることは、大切なことのように思っています。

すみません。「金井」よりも「ナポリ」の方にロマンを感じてしまいました。



カナイさんへ

焼いた銀杏をつまみに、冷えたビールを飲んでいました。

ナポリモーテルの窓からは金井荘がちょうど港の左手に見えます。

金井荘の部屋には一つも明かりが灯っていませんでした。
今日金井荘に泊まっていれば、きっと宿の主人喜んだろうなぁ~と少し残念に思いました。

港の東に静かに佇む金井荘。

なんだかとても存在感を感じました。