2011年10月20日木曜日

  「タクシーで行ったほうがいい。」とキム先生から言われていたが、秋の空がとてもきれいなので、せっかくだから自転車で行ってみることにした。闘牛場がある場所を地図で何度か確認したが、途中道に迷いわからなくなってしまった。
 
 旅をしていたときも、東京で暮らしていたときもいつもそうだ。よく道に迷う。道に迷い目的地に着かず、偶然行き着いた場所でぼんやり過ごしたりすることがしばしばあった。

 幼いころ、母方の祖父母の町の祭りで、一緒に遊びに行った従兄弟たちとはぐれてしまったことがあった。従兄弟たちを必死に探したが出会うことはできなかった。散々歩き回った後、黄昏時、橋の上で途方に暮れ一人泣いていた。行き交う人はちょっとこちらに視線を向けるが、そのまま通りすぎていく。私はただ泣き続けた。
 突然知らないおじさんに声を掛けられ手を握られた。そして夕焼けに染まる街をおじさんに手を引かれながら歩き続けた。今思うと不思議なのだが、幼かった私はそのおじさんのことを信頼しきっていた。おじさんは何も言わなかった。私は手を引かれるまま歩き続けた。気がつくと祖父母の家の前にいた。そしておじさんの姿はなかった。あのおじさんは誰だったんだろう。


 「できれば山には入らないでほしい。道に迷ったら大変なことになる。山賊の被害も最近よく聞くから行くのならガイドをつけて・・・。」私がお世話になっていた宿の女主人に何度も言われたが、結局一人で山に入ることにした。寝袋などの最小限の荷物をザックに詰め込み、あとの荷物は女主人に全て預けた。彼女は泣きそうな顔をして私を見送ってくれた。10日間の許可書を取りベースキャンプを目指した。
  だが、やはり道に迷ってしまった。さっきまで青空が広がっていたのに、急に薄暗くなり雪も降り出す。道が幾筋にも分かれていて、そこを自分の直感だけで歩み続けたがさすがに怖くなってきた。引き返そうと思ったが、今自分がたどって来た道さえ分からなくなっていた。
  ネパールの山をトレッキングするというのにスゥエットとセーター、 紐を巻きつけ滑り止めにしたスニーカーという 、いい加減な装備でここまで来た。山をあまくみていた。体がものすごい勢いで冷えていく。ザックにはチーズのかけらしかない。
  「これを遭難っていうのかな。」と独り言をつぶやきながらも、頭では「どうする?どうしたらいい?」と自問自答を繰り返す。これ以上動くと危険だと思い、岩の上に座り呆然としていた。
  いつしか雪はやみ、薄暗くなっていた空が明るさを取り戻し始めていた。その時、突然目の前に少年が現れた。何の前触れもなく、本当に突然に。神様かと思ってしばらく見つめてしまった。そしてその小さな神様はにっこり微笑んで道を教えてくれた。
  夜になった。私は教えられた道を信じて歩き続けた。山小屋の灯りがずっと向こうに見えたときは、ホッとして全身から力がぬけた。あれから20年以上たった。小さな神様は今でも写真の中で微笑んでいる。


 闘牛場を目指したはずなのだが、大きな湖に出た。しばらくその湖を見つめながらぼんやりとしていた。波紋の下に小魚の群れが見える。
  会場に着いたときにはもう巨大な体躯の牛がお互いの頭を着けぐいぐいと押し合っていた。歓声があがる。戦いの様子を解説者がマイクで実況中継する。牛たちの荒い息遣いが伝わってくる。前脚で砂を掻き揚げる。角と角がぶつかり、鈍い音がする。
 いくつかの試合を見た後、会場の外に繋がれた牛たちのところに行く。戦いを終えた牛たちはみな穏やかだ。頭や鼻筋を撫でてやる。牛は気持ち良さそうに目をつぶる。牛は何も言わない。だからこちらの心も落ち着く。大木に触れているときと同じような気持ちになる。大きな生き物の時間はゆったりと流れる。私はしばらく牛の額に手を置いていた。



2 件のコメント:

pilnamjp さんのコメント...

天使のような笑顔を持っている小さな神様ですね。
私はひどい方向音痴で幼い頃から今もしょっちゅう道に迷うんです。^^

健 さんのコメント...

確かにハン先生は方向音痴のような気がします。
でもその分、偶然に素敵な出来事に巡り逢ったりすることがありますからね。

道に迷わないっていうのは効率的だけど、少し寂しい気もします。

ハン先生、お互い迷い続けましょう。