日本から韓国に戻り、久しぶりにキム先生に出会った。
すごくやつれていて元気が無い。体調は大丈夫かと聞いても曖昧に微笑むだけだ。
冬期休暇中に娘さんと二人で九州を旅すると伺っていたので、どんな旅でしたかと聞いてみた。ところがキャンセルして行かなかったとのこと。
何かあったのだと思い、もう話しかけるのはやめた。
キム先生の一番の親友が交通事故で亡くなり、急遽日本への旅行は取りやめ、葬儀に参加したり、いろいろなことを手伝っていたとのことだ。家族三人一緒に亡くなったそうである。
私はもう何も言葉をかけることはできなかった。
大切な存在が一瞬のうちにこの世から消え去り、キム先生は深い悲しみを必死に耐えているように思えた。
韓国の運転マナーは非常に悪い。とても危険だ。バスやタクシーでさえ、赤信号でも隙あらば突っ込んでくる。そしてやたらとクラクションで応酬しあっている。
私は青信号で横断歩道を渡ろうとしたとき、ものすごい勢いで走ってきた市内バスに轢かれそうになったことがある。もちろんバスの進行方向の信号は赤である。それ以来、青でもすぐには渡らない。
家族が韓国に遊びに来たとき、そのことを一番言い聞かせた。「青でも渡るな。」・・・油断したら轢き殺される。
大袈裟なことではなく、それほど無謀な運転をするものが多く、歩行者や自転車に乗っている者など眼中に無い。
私が交通事故を恐れるのには理由がある。
今まで担任してきたクラスで、いずれも男子だが、大きな事故に巻き込まれている生徒がいるからだ。三人とも幸い無事だったが、長期間の入院を余儀なくされた。三人とも紙一重で助かっている。事故状況からいって、死んでいてもおかしくはなかった。
また、授業を受け持っていた女子生徒で兄を事故で亡くしたものがいた。ちょうど彼女が高校3年生の時だった。その女子生徒は、それ以降交通安全教室にも参加できなくなってしまった。兄のことを思いだし、交通事故に関する話を聞くことが耐えられないのだ。
自分ができること。それは身近な者に交通事故防止のためにいろいろな声かけを行うことと、自分自身安全運転を心がけることだ。
職業柄、部活動などで生徒を車に乗せることが多い。また、地域の子供達を乗せることも多々ある。もし事故を起こし、その子達が亡くなるようなことがあったら、自分自身や自分の家族はもちろんのこと、その子達の家族や様々な関係者まで悲しみの底へ突き落とすことになる。そしてたぶんその悲しみは、癒えることなどないと思う。
だから私は人を乗せたときは特に安全運転を心がけている。
やはり車というのは責任感のある大人の道具である。その自覚を持とうと改めて思った。
キム先生ももうすぐ子育てが終わり、その親友と残りの人生、いろいろと楽しもうと思っていたに違いない。でももうそれもかなわない。
運命というのは残酷だ。
お年寄りから金を奪って豪遊しているものが生き残り、真面目に勤め上げてきたものが死に追いやられる。
運命とはそういうものかもしれないが、そこに何とも言えない不条理さを感じてしまう。
キム先生は転勤となった。
彼女は黙ったまま荷物を片づけていた。何かをしていないと落ち着かないようだった。時々ため息をつき、肩を震わせていた。
最後の段ボールを私はキム先生の車まで運んだ。「ありがとう。すみません。」と彼女は言った。いつもの明るく溌剌としたキム先生は今はいない。目元がやつれ、隈ができている。
キム先生がいなくなり、学校も寂しくなった。
キム先生はこの学校の太陽だったから・・・。
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