2012年4月2日月曜日

弓と物理とサックスと

 先日、開校50周年記念ということで休みになり、チョ先生に連れられて韓国の弓の大会を見に行ってきた。
 チョ先生は物理の先生で50歳くらいだと思う。今年転勤して来られたのだが、よく私に声を掛けてくれる。韓国語、日本語、英語をごちゃ混ぜにしながらなんとか意思の疎通もできる。

 チョ先生は多趣味で、その中でも弓とサックスには力を入れているようだ。
 「趣味は何なの?」と聞かれ、困ってしまう。韓国に来てたくさんの人からこの質問を受けた。
 私は特に趣味というものを持っていない。よく日本でも初対面の人に趣味を聞かれるのだが、適当にごまかしている。その時々で「旅行」「キャンプ」「読書」などと答えている。
 よく「趣味が無いと寂しい。」など言う人がいるが、不思議に思う。私は全く寂しくはないのだが・・・。というか何故そんなにも趣味を持とうとするのかが分からない。


 チョ先生が「休みの日は何をしている?」と聞いてくる。
「部屋にいますけど。」
「部屋で何をしているの?」・・・特に何をしているわけでもなくボーッとしているのだが、そう言うわけにもいかない。
「本を読んだり、テレビを観たりしています。」
「外には出ないのか?」
「出ますよ。」
「どこへ?」
「市場とか。」
「市場?行って何をするの?」
「歩いています。」
「歩く?何も買わないの?」
「買いますよ。」
「何を?」
「肉とか野菜とか果物とか。」
「それが楽しいの?」・・・別に特に楽しくもないし、かといってつまらなくもない。ただのんびりと異国のいろいろな市場を歩くのが昔から好きなだけなのだが・・・、そんなことを説明する語学力などない。
「楽しいですよ。」
「ふーん。」
チョ先生は納得がいかないような顔をしながら不思議そうにこっちを見つめる。

 多趣味のチョ先生にとっては「のんびりして何もしない。」というのはありえないことなのだと思う。時間は何かをするためにあり、限られた時間の中でどれだけ何かができるか、それが重要なのだというのがチョ先生の考えのようだ。
 この考えは素敵だ。とても前向きだと思うし、生きる力のようなものを感じる。そういう人生をおくっている人を羨ましくも思う。だが同時に、異国の海岸で砂浜に座ってずっと波を眺めていたり、夕陽を浴びながらビールを飲んでいるような人も、私はものすごく羨ましく思うのだ。
 
 たぶん子供の頃の毎日が影響しているのだと思う。
 友達といろいろと遊ぶのももちろん大好きだったのだが、それ以上に一人で森の中で過ごすのが好きだった。
 家の裏にある森に一人で入り、鳥や虫やハ虫類や両生類を観たり捕まえたりするのが好きだった。木に登ったり、ふかふかの枯れ草の中に寝転んで空を眺めたりするのも好きだった。
 たくさんの生き物を自宅に持ち帰り飼っていた。さすがに蛇の子供を持ち帰ったときは、母親は悲鳴をあげていたが・・・。
 森の中には自分しか知らない大切な場所がいくつもあり、友達にも誰にも教えなかった。   
 森の中に一人でいるときが本当に心地よかった。


 以前アジアを10ヶ月ほどぶらぶらとし、久しぶりに帰国して大学の文学部の前を歩いていると、B君に声をかけられた。B君はかつて語学が同じクラスで、何度か酒を一緒に飲んだこともあるのだが、ちょっと私の苦手なタイプの人物である。彼は秀才で成績も良く、私は授業にはほとんど出ず、留年したり休学したりしてふらふらしていた。

「久しぶりだね。どこに行っていたの?」
「いろいろと。」
「いろいろってどこ?」
「インドとかネパールとか、いろいろ・・・。」
「そこで何をしていたの?」
「え?」
「だからそこで何をしていたの?」
「特に何も・・・。」
「何もしていないってそんなことはないだろ?」
「いや、ホントに・・・」
「じゃあ何のために行ったの?」
「何のため?」
「そう、何のために行ったの?」
「うーん、なんとなくね。」
「なんとなく行って、何もしていないなら意味がないじゃないか。」
「意味がない?」
「そこに行った意味があるの?」
「意味って言われてもなぁ。」
「お金を使って、時間も使って、大学にも来なくなって・・・それで何もしてない。それじゃあ意味ないじゃないか。」
「でも行ってみていろいろなこと感じたよ。それに行かなけりゃわからなかったろうなぁってこともあったよ。」
「それどういうこと?そこに行ってない僕にはわからないってこと?」
「いやいや、そういうことじゃないよ。まぁ自分は行って良かったなぁってことだよ。それだけのことさ。」
「じゃあなんで帰ってきたの?」
「え?」
「そこが良かったんだろ?」
「まあ。」
「そんなに自分にとって良い場所なら、なんで帰ってきたの?自分にとってプラスになる場所だったんでしょ?それならそこに居続けるべきなんじゃないの?帰ってきたってことはそれだけの場所でしかなかったってことでしょ?たいして重要な場所ではなかったってことでしょ?」・・・私はいつもB君と話をすると疲れてしまうのだ。
 なんで帰ってきたかと言われてもなぁ。そりゃ帰ってくるだろう。金がなくなったんだから・・・。
「それじゃあぼくは忙しいから。もう話すこともないかもね。これでお別れかもね。」
突然B君はそう言い、向こうへ歩いていってしまう。
 いったい彼は私に何を伝えたかったのだろう。・・・疲れる男だ。

 もちろんその後もB君とはたびたび大学の近くで会い、そのたびに「今、何をしているの?」「そんなことでいいの?」「よく平気でいられるなぁ。」などと声をかけられた。
 その後、彼はあるTV局に内定をもらったと聞いた。他にもたくさんのマスコミ関係を受験して、全て受かったようなことを言っていた。
 私の方はというと、就職活動自体を途中であきらめて、大学へも行かず、ぶらぶらと街を彷徨っていた。喫茶店に入って音楽を聴いたり本を読んだり、公園で缶コーヒーを飲みながらぼんやりと木々を眺めたり、映画館に一日中入り浸ったりしていた。


 ある日、大学の図書館の横の坂道を歩いているとき、またB君に出会ってしまった。
「やぁ久しぶり、今、何をしているの?」
「特に何も・・・。」
「卒論は?」
「あぁ卒論か、少しずつ準備してるよ。」・・・私は嘘をついた。準備など全くしていなかった。ただB君との会話を早く終えたいと思ってしまったのだ・・・。
「え?少しずつ?遅いだろう。もうかなりできあがってないと。大丈夫?間に合うの?卒業できなくなるよ。遅いよ~。」
「そうかな。」
「そうだよ、あいかわらずだね。」
「まぁなんとかなるさ。」
「就職は?」
「いや、決まってない。」
「へえ~そりゃ大変だ。そう言えば教職課程の授業とっていたでしょ。教員になるの?」・・・何故B君はこんなにも自分のことを知っているのだろう?
「いや、教員を目指すかどうかはわからないけど。」
「今、教員にはそう簡単になれないんだよ。それ、分かってる?」
「そうみたいだね。」
「教員になるなら君にはもっと経験を積んでほしいな。きちんとまず就職して、社会を知った上で教員になってほしい。まず会社員になってみることだよ。社会を知らないで教員になって、よく人にものを教えられるなぁと思うよ。いろんな経験を積んだ方がいいよ。ああその前に卒業しなくちゃね。それじゃあ卒論頑張って。時間ないよ、本当に頑張らないと。じゃあ僕は忙しいからこれで。」
そう言い残し、B君は行ってしまった。・・・疲れる男だ。

 私はB君のことが苦手ではあるが、嫌いではない。彼は言うだけのことはやっていたし、行動力もあった。私のようにぼんやりとしている時間など彼にはありえないのだ。彼にはいつもやるべきことがあったのだと思う。

 彼はなんとなく森に入ることなどない。何かのために森に入るのだ。明確な目的がなければ、彼には森など意味がないものなのだ。

 自分にとって苦手なタイプの人間、関わりたくない人間っていうのは、時に自分に刺激を与えてくれるものだ。その日から私は、大学の図書館の地下の書庫に朝から晩までこもって、卒業論文に取り組んだ。
 B君は正しかった。時間がない。食事をするとき以外は机から離れなかった。そしてなんとか書き上げた。締め切り当日にぎりぎり提出できた。
 あれからB君には会っていない。きっと彼のことだからTV局で「何のために?意味ないじゃないか。時間ないよ!」と叫びながら活躍していることと思う。
 結局私は、B君のいうように「きちんとまず就職」はできなかった。アルバイトをしたり、しなかったりしながら、それからさらに5年ほど東京を彷徨っていた。
 初めて教壇に立った時、私は29歳になっていた。


 チョ先生に連れられていった弓の大会は、のどかなものであった。平日の大会ということもあるのだろうか、出場者は年配の方がほとんどであった。みんな弓道場の二階で食事をし、ビールや焼酎を飲んだ後、弓を射ている。それでも遙か彼方にある的に矢が当たるのだからたいしたものだ。チョ先生もなかなかの腕前である。

 帰りの車でチョ先生が言う。
「いつか日本に行ってみたいな。」
「来てください。案内しますよ。」
「今度、桜を見に行こうか。」
「いいですね。」
「その時、家族を紹介するよ。」
「楽しみにしています。」
 弓と物理とサックスを愛する男が微笑んでいる。

 私は車が今どこを走っているのかわからない。いつもそうだ。声をかけられ車に乗せられる。そしてどこかへ連れていかれる。着いた場所で、酒や食事をご馳走になる。

 異国の人に全てを委ねることの心地よさ。森の中の日だまりで、枯れ草の上に寝転びながら空を眺めていた時とどこか似ている。

 車はスピードをあげて見知らぬ農道を走り抜ける。窓の外は春だ。

2 件のコメント:

高橋 さんのコメント...

最高だな!
楽しむのが一番と、俺は思う。

健 さんのコメント...

日本での教員生活よりちょっと時間の余裕があるので、また少し周りのものが見えるようになってきた気がする。というか観るようになった。

でもあの子供の頃のような自然との確かな一体感はない。あの頃は不思議なくらい溶け込んでいたと思うし、心から楽しかった。

あの時を超える「楽しいもの」には未だ出会えないでいるよ。