2012年4月16日月曜日

超えてる男

 先日、遠足があった。高校生になっても遠足があるっていうのは、なんだかいい。
 各クラスそれぞれ自由に行き先を決める。山であったり、川であったり、ダムであったり、公園であったり・・・。一年生から三年生までクラスごとに、その日をのんびりと過ごすのだ。
 私は今、2年生の全クラスに日本語を教えているので、せっかくだから2年生のどこかのクラスに混ぜてもらい参加しようと思っていた。
 山がいいかなぁ、それとも川にしようかなどと思いながらリストを眺めていたら、カン先生に声をかけられた。このブログでも以前「カン・サングウという男①・②」で紹介した、あのカン先生である。

「明日、9時に城の後門に来いよ!」
「え?」
「遅れるなよ。」
「はあ。」
「後門の方だぞ、間違えるなよ。」

 カン先生は3年生の担任である。
 昨年度の半年間、このクラスに日本語を教えたのだが、気のいいメンバーがそろっている。勉強を真剣にする者は極端に少ないクラスだが・・・。
 私はせっかくだから今教えている2年生と交流を持ちたいと思っていたのだが・・・、カン先生はもう歩き去ってしまっている。やれやれ、いつものことながら突然だなぁ。

 カン先生は生徒に対してはとても愛情深い。だが叱るときはびしっと叱る。だから生徒からも一目置かれ、信頼されている。
 職員会議では必ず意見を言う。相手が管理職だろうと容赦はしない。おかしいと思ったことはとことん追及する。絶対に譲らない。だから管理職達は明らかにカン先生のことを煙たく思っている。側で見ていてそれが伝わってくる。だが、カン先生は平気だ。

 校長先生が全職員に何かを伝える。
 みんな下を向く。ため息をつく。隣同士、眉間に皺を寄せながらコソコソと話をし出す。目をつむり、こめかみを押さえる先生もいる。あきらめ顔で首をふる先生もいる。
 そんな時、カン先生は、「チャンカンマンニョ(ちょっと待って下さい)!」と言い立ち上がる。
 私は職員会議で、何度カン先生の「チャンカンマンニョ!」を聞いたことだろう。
 管理職達の顔が一斉に曇る。警戒心が目に宿る。
 カン先生はいつも管理職が発言するときはしっかりとメモをとっている。そして矛盾点を追及する。
 校長先生が目を見開き、鋭い視線を送る。だが、カン先生は一歩もひかない。メモを片手に強い口調で発言する。校長先生の唇がわずかに震え出す。カン先生はお構いなしだ。
・・・燃える男ここにありという感じなのだ。


 朝9時、城の後門に到着する。
 空は暗く今にも降り出しそうだったが、私は自転車で出かけた。
 もう生徒達は集まっている。みんな私服でおしゃれをしてきている。このクラスには女子も二人おり、いつもどおりメイクをばっちりときめてきていた。
 私も私服でラフな格好で参加した。だが靴だけはトレッキングシューズを履いていった。私は普段から街に出るときはトレッキングシューズを履く。特に理由はない。なんとなく落ち着くのだ。

 カン先生は、遅刻。それなのに、その後遅れてきた男子4人組に近寄り、「こらっ!おまえら遅いぞ!」と言いながら耳をつまみ捻り上げていた。いつもやんちゃな4人組は悲鳴を上げて耳をおさえていた。

 城の中をみんなで散歩。
 日本語の放課後授業をとっているテミョン君もいるので、いろいろと話しながら歩く。
 広場では、片足になりタックルし合って相手を倒すゲームをしたり、騎馬戦をしたり・・・。
 カン先生に「やってみろ!」と言われしぶしぶ生徒達は始めるのだが、みんなやりだすと異常に盛り上がる。どの生徒も笑顔である。
 楽しんでいるみんなの姿を、体調の少し悪い者や女子達と一緒にベンチに座って眺める。見ているこちらもみんな笑顔である。散歩中のおばさんもベンチに座って微笑んでいる。なんとものどかである。
 カン先生は生徒の中に入り声を掛け、盛り上げている。嬉しそうである。この人は本当に生徒が大好きなのだ。
 教員と言うよりも、ガキ大将だ。盛り上げ方をわきまえている。授業中いつも元気のないものまで笑顔で跳び回っている。生徒達もカン先生のことが大好きなのだ。


 ポツリポツリと雨が降り出す。カン先生が生徒達に声をかけ、突然すたすたと歩き出す。みんなが後について歩く。
 テミョン君に「雨降ってきたね。これからどうするの?」と聞くと「映画館に行くみたいです。」と言う。え?遠足なのに映画?そんなのいいのかよ~。まぁカン先生の中ではOKなんだろうけど・・・。
 城は街の中心部にあるので、映画館はここから歩いて15分くらいである。
 雨の中を映画館へと歩く。
 生徒と映画を観るのも悪くないなと思い、テミョン君に「何を観るの?」と聞くと「『タイタン』を観ます。先生、一緒に観ましょう。チケットはあそこで買います。」と教えてくれた。
 みんな自分のお金でチケットを買っている。
 私も買いに行こうとすると、いきなりカン先生に肩をつかまれた。「チケットはいらない。」と言う。そうか、自分の分をもう買っておいてくれたのか。

 生徒達が全員映画館に入ると、「来い。」とカン先生は言い、歩き出す。映画館を出て、雨の中を街に出る。また城まで戻る。そしてカン先生の車に乗せられる。
 おいおい生徒ほっといていいのかよ?今日は遠足だろ?まずいんじゃないのかなぁ~。まぁ生徒はみんな映画館の中だから、その間に食事でもするつもりなんだろうけど・・・まぁいいか。任せよう、カン先生に。

 雨の中を車は走る。まだ走る。まだまだ走る?車は街を出る。え?いったいどこの食堂へ行くんだ?高速道路に入る。え?どこに行くの?カン先生は前方を見つめアクセルを踏む。
 雨が降る。車は走り続ける。それから一時間、ずっと高速から降りない。
 もう引き返さないと生徒の映画が終わる時間に間に合わなくなってしまう。私は少し心配になってきた。

「カン先生、どこに行くんですか?」
「サクラ。」
「え?どこに・・・」
「サクラを見に行くんだ。」

 それからしばらく高速を走り、国道に降りる。
 出発して2時間ほどたったころ、生徒からカン先生に連絡があった。・・・そりゃそうだろう。生徒はみんなこれからどうしたらいいかわからないはずだ。
「おう、終わったか。おう、おう、じゃあ家に帰れ。おう、おう、家に帰れ。じゃあな。」そう言ってカン先生は電話をきる。そして微笑む。
 え?勝手に解散?遠足は?生徒達はきっとあっけにとられているだろう。
・・・いや、あの生徒達はカン先生に慣れている。3年間ずっと担任だからな。カン先生の行動パターンを熟知している。こんなことは、いつものことなのだ。
 あっけにとられているのは、きっと私一人なのだろう。

 そこに桜のトンネルがあった。長い長い純白のトンネルであった。雨に濡れた桜の花びらが光っていた。
 数え切れないほどの桜の木が一本の道を両側から包み込んでいる。どこまでも白いトンネルは続いている。私は息をのんだ。これほど長い桜のトンネルを見たのは初めてだ。
 今自分がどこにいるのか分からなくなった。桜が私を包んでくる。桜の胎内に入ったようだ。


 カン先生が「マッコリを飲め。」というので飲んだ。
 「朝鮮人参定食を食べるぞ。」というので食べた。
 「寺まで歩くぞ。」というので歩いた。
 「仏画を観るぞ。」というので観た。
 「山に入るぞ。」・・・え?「山に入るぞ。」・・・え?私は耳を疑った。今から山に?・・・雨も降っているし・・・山に入るのは嫌だ。早く帰って濡れた体を温めたい。
 カン先生は行ってしまう。私は遅れないよう必死に追いかける。だが追いつけない。カン先生はものすごい勢いで登っていってしまう。全然見えなくなってしまう。
 息がきれる。足が重い。それでも登る。足下だけ見て登る。体が熱くなる。
 俺は何で韓国の山をこんな雨の中登っているんだ?俺は何をしているんだ?
 苦しい。ジャケットを脱ぐ。一歩一歩登る。もう何も考えられなくなる。右足を出したら、左足を出す。それだけだ。

 「苦しいか?」突然カン先生の声がする。
 ふと上を見ると、巨大な岩の上でタバコをふかしながら微笑んでいる。
 「ケンチャナヨ(大丈夫です)。」と答える。本当は全然大丈夫ではないのだが・・・。
 岩を登り、カン先生の横に座る。谷底がはるか彼方に見える。冷たい風が気持ちいい。雨もやんでいる。
 もうここで充分だ。ここで寝転んでこの風景をずっと眺めていたい・・・。

 「行くぞ。」カン先生は立ち上がる。そしてまた、獣のようにどんどん登っていってしまう。必死に追いかけるが、すぐにまた見えなくなる。だが道は一本道だ。迷うことはない。
 あの人はマッコリも大量に飲んだし、タバコを何本も吸っている。それなのに何故、あんなにすごい勢いで山道を駆け上がることができるんだ?何故なんだ?何者?けだもの?それとも山の神?
 ところで俺は何でこんなに必死になって登っているんだ。どこに行こうとしているんだ。
 今日は遠足のはずじゃないか。城で生徒と楽しく過ごし、笑顔で帰るはずじゃなかったのか?
 また体が熱くなる。それからまたさらに一時間くらい登った。
 もう言葉も思考も消えた。足を交互に出すだけだ。それが生きている証。
 道の分かれ目でカン先生がタバコを吸いながら待っていてくれた。
 笑っている。

「聞こえるだろう。」
「え?」
「水の音、聞こえるだろう?」

本当だ。水の音が聞こえる。何故こんな山奥に・・・。しばらく歩くと、突然巨大な滝が現れた。 


 私はカン先生と二人でずっとその滝を見つめ続けた。
 水が落ちる。轟音に体が包まれる。カン先生が満足そうに微笑む。

 どうやらここが今日の折り返し地点のようだ。折り返し地点・・・。
 生徒達のことがふと頭をよぎった。私とカン先生がこんな山奥にある滝を今こうやって見つめていようとは、きっと夢にも思わないだろう。

 なんだか笑えてくる。カン先生も笑う。

 私はその場にしゃがみ込み、水の落ちる音に身を委ねていた。

3 件のコメント:

こうしたまい さんのコメント...

チャンカンマンニョ!!
健チチ元気?
健チチも越えてる男と思うよ!
韓国での授業楽しそうだね !
山口県帰ってきたら連絡してよ!
ファイティン!!!

はぎたにしおり さんのコメント...

日本帰ってこんのぉ?
健ちちチョア♡♡w

健 さんのコメント...

こうしたへ はぎたにへ

元気に働いているかな?
体壊していないか?

職場の人と仲良くやっているか?
けんかとかしていないだろうな?

しっかり食べているか?
お菓子ばかり食べていないか?
きちんと寝ているか?

体だけは大切に!
体がしっかりしていればなんとかなるからな。

ところで「チャンカンマンニョ」は「ちょっと待って下さい」という意味だぞ。挨拶ではない。

二人とも仲良く元気にやるんだぞ!