2012年4月28日土曜日

釜山、プサン、ぷさん、PUSAN

 釜山駅から大通りを渡り、路地裏に入る。
 ロシア人がたくさんいる道をぶらぶら歩く。飲み屋が多い。フィリピン人の集まる飲み屋も何軒かある。私はゆっくりといろいろ見ながら歩くので、むこうもこちらをじっと見つめてくる。そこを通り過ぎると、小さな中華街がある。さらに裏の細い道に入ると薄暗く、たくさんのモーテルが並んでいる。そのあたりをぐるりと周り、いつもの食堂に入る。


 釜山に来たときにはいつもこの食堂に入る。そしていつも同じものを注文する。
 「アグウタンハゴ、メクチュウハンピョンチュセヨ。」こう言うと、アンコウの煮込みスープとビールが運ばれてくる。ここのアンコウの煮込みはとてもうまい。冷えたビールで渇いたのどを潤しながらそれを待つ。やがてぐつぐつと煮え立ったアンコウの煮込みがやってくる。

 この店にはおばちゃんが二人いるのだが、そのうちの一人がとても個性的である。
 機嫌がいいときは満面の笑みを浮かべて料理を運んでくる。だが、機嫌の悪いときはそれが表情にはっきりと表れていて、運んできた料理もどかっと音をたててテーブルに置く。
 おばちゃんはわかりやすい。暇なときは機嫌が良く、忙しいときは機嫌が悪いのだ。つまり客がたくさん来ることが嫌なようなのだ。客商売にも関わらず、これだけ態度を変えるのも珍しい。
 そのおばちゃんは出前もする。頭にお盆をのせて路地裏に消える。そして食器をのせてまた帰ってくる。頭にお盆をのせたまま、近所の人と世間話をしている。

 なるべく内面の波を表には出すまいと私なんかは努力するのだが、なかなかそれができないでいる。不愉快な時はそれが表情や態度に出てしまい、ああ自分はまだまだ余裕が無いなぁなどと思ってしまう。だが、あのおばちゃんは違う。おもいっきり内面を顔に出してしまっている。気持ちいいくらいに。
 「今私は不機嫌なのよ、客なんて来なければいいのに、なんで来るのよ!」と、はっきり顔に書いてある。
 日本だったら接客態度が悪いということで誰もその店に行かなくなるかもしれない。あるいは客とトラブルになるかもしれない。でもそこは流行っている。時間によっては満員で入れないときもある。文句なしに美味いものを出すからだと思う。それにおばちゃんのことをどうやらみんなが認めているようなのだ。どの客もおばちゃんから乱暴な口をきかれても、苦笑いをして受け流している。おばちゃんは愛されているといっても過言ではない。


 店を出て駅前の広場に向かう。駅前にはたくさんのベンチがあり、様々な人がそこにいる。私は必ず東側にあるベンチの一つに座ることにしている。そこでのんびりと周りにいる人々を眺める。

 若者が巨大な駅舎を眺めながらタバコを吸っている。
 カップルが楽しそうに語り合っている。
 3人の若者がコーヒーを飲みながら何かを相談している。

 私の斜め後ろには奇妙な服を着た人がいる。布団のような分厚い服である。つぎはぎだらけでとてもカラフルである。青、赤、紺、緑・・・。水色の帽子をかぶっている。肌は赤黒く髪も乱れているため性別が判然としない。ベンチに座り虚空を見つめている。全く動かない。カラフルな岩のようだ。
 その人の前にあるゴミ箱を入れ替わり立ち替わり何人もの人が物色する。捨てられた食べ物やタバコを漁っている。

 カラオケをしている人たちがいる。二人の女の人が司会をつとめ、何人かのおじさんが順番に歌う。観客は誰もいない。誰もいない空間に向かって歌っている。待っているおじさん二人がつかみ合いのケンカをしだした。おばさんが「アイゴー」と叫びながら止めに入る。
 タバコを吸っていた若者が笑顔になる。


 足を引きずりながら一人の男が近づいてきて、私に何事か話しかけてくる。顔は酒やけをしている。タバコに火をつけ私に微笑みかける。どうやら今カラオケで歌われている曲名を私に聞いているようだ。「モッラヨ(分からないよ)」と言うと、私に何事かをつぶやき、また足をひきずりながら離れていく。
 今度はカップルのところに行き、また何かを語りかけている。カップルは完全に固まっている。二人とも下を向き、おじさんと関わろうとしない。二人の体はピクリとも動かなくなる。物体と化す。おじさんは二つの物体に熱心に語りかける。だが、その物体は微動だにしない。おじさんはあきらめ離れ去る。やがて物体が生物へと変化する。
 二人に安堵の表情が広がる。

 私の前方で7人が酒盛りをしている。
 段ボールを地面に敷いて焼酎を飲んでいる。紙コップに何かつまみが入っているようだ。みんなそれを片手に酒をあおっている。どの人も髪や顔、服は薄汚れている。ポケットから短いタバコを出し、それに火をつける。女性も一人いる。その人も焼酎を飲み笑っている。汚れた歯が見える。みんな楽しそうだ。

 そこに突然、赤いザックを背負った30代半ばくらいの男がどこかから現れた。そしてその集団に近づいていく。何事かを7人に言っている。一人の男が、「帰れ、どこかに行け。」というように手を振る。だがその赤いザックの男は立ち去らない。それどころかさらに近づき、何かを言っている。

 奥に座っていた男がゆっくりと立ち上がる。体がでかい。髪もひげも伸び放題で汚れている。薄汚れたライオンのようだ。服はぼろぼろで、ゴム草履を履いている。目は細く鋭い。そして血走っている。かなり酔っているようで、足下がおぼつかなく倒れそうになる。危険なオーラが漂っている男である。
 赤いザックの男に何事かを叫び、つかみかかろうとする。それを茶色いジャンパーを着た短髪の男が止めに入る。
 「どっか行け!」と何人かが声をあげる。赤いザックの男はせせら笑っている。ライオンは大声をあげる。短髪男が必死になって二人の間に入り止めている。
 短髪男は赤いザックに頭を下げている。「悪いが、もう行ってくれないか。申し訳ない。」とでも言っているようだ。
 赤いザックは少しその集団から離れる。だが、ライオンを見つめながらバカにしたようにせせら笑っている。ライオンがまた吠える。赤いザックの笑いが凍りつき、またライオンに近づいていく。つかみ合おうとする二人の間で短髪男が必死に体を張って止めている。

 私の周りの人々もその光景に釘付けになっている。誰もが何かが起こることを期待しているようだ。


 3人の姿が突然視界から消える。

 私の目の前を車いすの男がゆっくりと通り過ぎる。
 無精ひげを生やした初老の男だ。痩せた体がねじれてしまっている。上下とも黒く汚れたジャージを着ている。口を開け青い空を眺めている。車いすがゆっくりと移動していく。進行方向と顔の向きがねじれをおこしている。

 タバコを咥えた黒ずくめの男が私に近づいてくる。
 突然私の足下に唾を吐く。私はその男を見上げた。その男は、両の目があらぬ方向を向いている。顔は私の真正面にあるのだが、目はそれぞれ別の方向を向いている。顔面全体が炭でも塗ったように黒く汚れている。
 男の言葉を待ったが、何も語らない。私の目の前に立ち、黙ったままタバコを吸っている。
 だが、男の言おうとしていることは分かる。私の座っている位置は彼らの領域なのだ。私は彼らの世界に接近しすぎている。そしてさっきから凝視しすぎてしまっている。
 「離れろ、そして見るな。」そう男は言いたかったのかもしれない。
 男は吸っていたタバコを投げる。そして私の横に座る。だが何も言わない。
 私は男の顔を見つめた。二つの目がそれぞれ別の世界を向いてしまっている。やがて男は立ち上がり私から離れていく。その男も少し足をひきずっている。私は歩き去って行くその男の背中をしばらく見つめていた。


 ふと視線を前方に戻す。
 私は愕然となる。・・・何なんだいったい。おいおい待ってくれよ・・・。
 ライオンと赤ジャンパーと短髪男がベンチに座り、笑顔で焼酎を飲んでいるのだ。見逃した・・・。何があったんだ。くっそー、あの車いすの男と黒ずくめの男に意識を奪われている間に、何かが3人に起こったのだ。
 いったい何が・・・。

 ライオンと赤ジャンパーの間に短髪男が座っている。二人の殺気をどうやって収めたのだろう。・・・あの短髪男、ただものではない気がする。
 あんな男が世界を変える力を持っているかも知れないじゃないか。
  答えは、国連の絨毯の上にあるんじゃなくて、駅前の地面に敷かれた段ボールの上にあるかもしれないのだ。

 決定的瞬間を見逃した。ため息が漏れる。私は立ち上がる。幕は下りたのだ。
 さて帰ろう。今日はどこの宿も満杯で部屋が無い。久しぶりに駅で一晩を過ごそうかとも思った。だが、明日はある会合に出席する。ゆっくりと眠っておきたい。
 いつも泊まる宿の主人に相談したら、部屋は満杯で、あれからキャンセルは出なかったそうだ。だが、最上階の物置になっているようなところでもいいならということで了解した。隣の部屋には主人の大学生の甥っ子が住んでいるらしい。屋根の下に寝られるっていうのはありがたいことだ。


さて宿に戻ろう。背伸びをし、体をひねる。360度自分のいる世界をもう一度見渡す。

 さきほどカップルが座っていたベンチに一人の男がいる。ロシア系の若い男だ。痩せている。目は虚ろで斜め前方の地面をじっと見つめている。何かを考えている目だ。そして手には花束。

 ・・・物語はどこにでも転がっているんだな。もう一つのドラマが始まろうとしている。だが、幕が開く前に宿へ戻ろう。釜山駅前劇場は一日一話、それくらいがちょうどいい。

2 件のコメント:

末っ子 さんのコメント...

なんだか本を読んでいるみたいです!
いろいろドラマがありますね☆

それにしても、あんこうの煮込みスープ、おいしそうですねー!!!
さすがにそれはオーストラリアでは食べられません…(*_*)

健父 さんのコメント...

たくさんの店がありおいしそうなものがいっぱいあるのに、決まった店の同じものばかり食べてしまうという習性から抜けられないでいます。
朝ご飯も別の場所でもいいのに8ヶ月間同じ店に通っております。
自分は行動派の人間ではなく、定点観測をし続ける人間のようです。
ホリオさんは完全に行動派の人間ですね。
行動派には、人についても食についてもたくさんの素敵な出会いが待っているような気がします。